周さんと息子の孝天くん |
○母親:「私は息子の腎臓とともに、しっかりと生きていく」
2日午前4時(shí)ごろ、陳孝天くんは武漢161病院で靜かに息を引き取った。享年7歳。痛みにのたうち回ることはなく、苦しみに泣き叫ぶこともなく、ただ彼の手が、祖母の手から靜かに離れた。
一方、母親は、同済病院の病室で、まんじりともせず夜を明かした。前日、「天天くんは今夜が峠だ」と醫(yī)師から聞かされていた彼女は、「その時(shí)」を迎える心の準(zhǔn)備に余念がなかった。
午前5時(shí)、周さんは息子の訃報(bào)を受け取った。すなわち、醫(yī)師のオフィスで移植手術(shù)について事前説明を受けたのだ。醫(yī)師によると、彼女は聲を上げて泣くようなことはなかったが、一言も話さなかったという。
同済病院器官移植所の陳剛?教授は、「病院側(cè)は、手術(shù)を行うことを彼女に話した。それは、息子さんが旅立ったことを彼女に告知したのと同じことだ」と語った。
「天天は行ってしまった。最期の時(shí)に、息子の傍についていてやれなかった」―病室に戻った周さんは、ついに堪え切れなくなり號(hào)泣した。
午前6時(shí)、周さんは手術(shù)室に入った。手術(shù)臺(tái)に橫たわった彼女の頬を、涙がつたった。
手術(shù)は大成功だった。天天くんの腎臓は、母親の身體の中で正常に機(jī)能し始めた。周さんは、「これから、私は自分の身體をできる限り大切にして生きていきます。息子の腎臓と一緒に、しっかりと生きて行くつもりです」と語った。
天天くんは、3人の命を救った。2日晝、他の2人の移植手術(shù)も無事成功した。天天くんの右腎の移植手術(shù)を受けたのは、襄陽に住む21歳の女性?馮晶(仮名)さん。馮さんは、2年あまり前から尿毒癥を患っており、ずっとドナーを待っていた。また、天天くんから肝臓の提供を受けたのは、武漢に住む27歳の男性?文軍(仮名)さんで、文さんはB型肝炎による重い肝硬変を患っていた。
○ネットユーザからのコメント
「洛麗婭」さん:「天天くんは、あまりにも物事が分かり過ぎていた。お母さんの心痛は、我々の想像を絶するものに違いない」。
「憶江聞馨室」さん:「彼らの親子関係は、7年間という短い期間だったが、この世で最も貴い愛に満ち溢れた関係だ」。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年4月4日
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