第二次世界大戦中、舊日本軍はいくつもの細(xì)菌戦部隊(duì)を立ち上げた。そのうち、最後に立ち上げられたのは南方軍防疫給水部(通稱「岡 9420 部隊(duì)」)で、1942年にシンガポールに設(shè)置された。同年、舊日本軍は中國(guó)雲(yún)南省で2度大規(guī)模な細(xì)菌攻撃を行い、その犠牲者は20萬(wàn)人に達(dá)した。その作戦に、岡 9420 部隊(duì)も參加していた。中央テレビニュースが報(bào)じた。
9月2日、黒竜江省哈爾浜(ハルビン)市にある中國(guó)侵略日本軍第七三一部隊(duì)罪証陳列館で開(kāi)催された「中國(guó)侵略日本軍細(xì)菌戦史料公文書特別展」で、岡 9420 部隊(duì)の名簿が初めて一般公開(kāi)された。
同館の金成民館長(zhǎng)は取材に対して、「この名簿は、日本國(guó)立公文書館つくば分館で発見(jiàn)された。その後、整理?研究を経て、今月2日に初めて一般公開(kāi)された。名簿にはメンバー468人の氏名、生年月日、本籍地、任屬、兵歴、親族情報(bào)などの個(gè)人情報(bào)が記されている。731部隊(duì)、1855部隊(duì)、1644部隊(duì)などの細(xì)菌部隊(duì)のメンバーが226人を占めている。また、將官1人、校官13人、技師8人が含まれ、同部隊(duì)の中心となる管理者を構(gòu)成している。これまでは、削減により、公文書、文獻(xiàn)が極めて少なく、岡9420部隊(duì)の基本形態(tài)や戦時(shí)中の活動(dòng)などの研究のための資料が不足していた。今回発見(jiàn)された名簿は、同部隊(duì)だけでなく、日本の細(xì)菌戦の體系を研究するうえで、非常に重要な史料的価値がある」と説明した。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2020年9月3日