張嘉豪さんは、たった一人ではるか遠(yuǎn)いチリまで赴き、冬季オリンピック出場という夢を追いかけるスノーボーダーだ。
パン職人からスノーボーダーに、五輪出場の夢追いかける
西洋料理を?qū)煿イ筏皮い繌垽丹螭?012年に卒業(yè)し、パン職人になった。そしてこの年、17歳だった張さんはスノーボードに出會(huì)った?!府?dāng)時(shí)、夜勤明けに友達(dá)の車に乗ってスキー場に行き、2時(shí)間半練習(xí)し、家に帰って4-5時(shí)間寢て、また一晩働いて、友達(dá)と一緒にスキー場に行くという生活を送っていた」と張さん。
2014年、張さんは大會(huì)に初出場し、バックフルツイストをきめたといい、「とてもうれしかった。新しい技ができるようになると、次の試合で披露したくなる」と話す。
2016年、張さんはニュージーランドで國際大會(huì)に初出場。中國人選手では最高の16位に入った。その時(shí)、「五輪出場の希望が見えた」という。
2020年から、張さんは北京冬季五輪出場に向けて、さまざまな試合に出場するようになった。ここ約1年、満足のいく成績を殘すことはできていないものの、決して諦めることなく、「どんな困難に直面しても、自分のベストを盡くしたい」と前を向く。
「一番重要なのは目標(biāo)達(dá)成ではなく、この一歩を踏み出すこと」
ナショナルチームに所屬する若いアスリートと比べると、26歳の張さんは「高齢」で、五輪出場の目標(biāo)を達(dá)成するのは決して容易なことではない。自ら計(jì)畫して、4ヶ國に足を運(yùn)び、世界選手権とヨーロッパカップ、ワールドカップ2試合の4試合に出場して、國際スキー連盟(FIS)のポイント50ポイント以上を獲得し、ランキング30位以內(nèi)に入らなければ、冬季五輪出場にチャレンジすることもできない。
「目標(biāo)が達(dá)成できなかった時(shí)はどうするのか?」という質(zhì)問に対して、張さんは迷うことなく、「それは一番重要なことではない。一番重要なのはこの一歩を踏み出したことだ」と話す。
スノーボードに17歳の時(shí)に出會(huì)って26歳になるまでのこの9年間の成長を振り返り、張さんは、「17歳までは、毎日遊んでばかりだった。でも、17歳より後の自分は、理想主義者になった」と語る。
五輪に出場できるかに関わらず、今シーズンの冬が終わった後も、張さんはスノーボード業(yè)界のために何かをしたいと考えており、「こんなに長く続けてきたスノーボードが好きでたまらない。中國のウィンタースポーツ事業(yè)は急速に発展しており、人材が必要なので、必ず何かをしたい」という。
ネットで大きな話題となった張さんのSNSアカウントのフォロワーは激増し、たちまち2萬5000件以上の応援や祝福メッセージが寄せられた?!赣柘胪猡韦长取工润@く張さんは、「誰もがやりたいことを、僕がみんなの代わりにしているのかもしれない。青春時(shí)代を過ごすみんなが夢をあきらめないことを願(yuàn)っている」と語った。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年11月1日