中國を舞臺に活躍している日本人俳優(yōu)たちがいる。彼らは自分たちのスタイルで中日両國間の文化交流を促進(jìn)している。彼らは現(xiàn)在、それぞれの理由から活動(dòng)の場を中國から日本に移しているものの、中國への思いを抱き続けている。
小松拓也さん:蕓能界が繋いでくれた縁、リアルな中國をシェア
東京で開催されたある中日対外貿(mào)易イベントで、小松拓也さんは司會を務(wù)めていた。彼は以前、中國で俳優(yōu)や歌手として活躍していた。その後、活動(dòng)の場を日本に移したものの、今でも中國への思いを抱き続けている。
東京で開かれた中日貿(mào)易イベントの司會を務(wù)めた小松拓也さん(スクリーンショット)。
小松さんの蕓能生活は中國と切っても切れない縁があると言えるだろう。小松さんは17歳の時(shí)に、東京渋谷でスカウトされたのをきっかけに蕓能界入りした。その翌年、事務(wù)所社長の勧めもあり、中國語を?qū)Wぶため臺灣地區(qū)に留學(xué)した。
その時(shí)のことを振り返った小松さんは、「父は中國の歴史が大好きで、母はとても熱心に中國語を勉強(qiáng)していた。ただ14歳の時(shí)、母が交通事故で亡くなってしまった。それでも母が中國語を勉強(qiáng)している様子は私の記憶にしっかり殘っていた。そしてちょうど母と同じ名前だった事務(wù)所の社長が、母のことを聞いて、中國語を勉強(qiáng)するように勧めてくれた。偶然かもしれないが、運(yùn)命のような気もする。これが私と中國の縁」と感慨深げに語った。
2007年、蕓能活動(dòng)に限界を感じていた小松さんは、引退も頭をよぎったという。しかし、中國語を?qū)Wんでいたこともあり、中國で頑張ってみようと考えた。そしてちょうど中國で大人気となっていたオーディション番組「加油!好男児」に外國人も応募できると知り、これが最後のチャンスという気持ちで出演した。小松さんは、「大切な一戦で、得意の中國語を生かして、中國語と日本語でスラムダンクの主題歌を歌い、観客に高く評価してもらい、最終的に強(qiáng)いライバルに勝つことができた」と振り返る。
「加油!好男児」の地區(qū)大會を勝ち抜き、最終的には外國人で唯一全國大會トップ20に入った小松さんは中國で一躍人気蕓能人となり、各種イベントやCMに引っ張りだことなった。そして、2008年、中國の歌手とアルバムをリリース。2010年の上海萬博の開幕式には、大御所歌手である谷村新司以外では唯一の日本人歌手として參加し、主題歌を歌った。
しかし、2012年に中日関係は突然波亂に見舞われ悪化。小松さんの中國での活動(dòng)もその影響を受け、帰國せざるを得なくなってしまった。しかし、小松さんの中國に対する熱い思いは今でも全く変わっておらず、帰國後も、中國と関係のある蕓能活動(dòng)をし続けており、中日の懸け橋としての役割を果たし続けたいと思っているという。
小松さんは現(xiàn)在、日本を活動(dòng)の場としているものの、中國のファンが今でも注目してくれていることを知っている。例えば、彼の微博(ウェイボー)のフォロワーは23萬5000人、ショート動(dòng)畫共有アプリ「抖音(中國版TikTok)」のフォロワーは10萬人に達(dá)している。彼はそれらのファンに向けて日本で見聞きしたことや普段の暮らしなどについてシェアし続けている。
イベント會場でファンと記念撮影する小松拓也さん(スクリーンショット)。
その一方で、日本に帰國した後、小松さんは日本のメディアが報(bào)道している中國と、自分が実際に経験した中國には大きなギャップがあると感じたため、自分が中國で実際に見たり、感じたりしたことを日本に向けて伝える必要があると考えるようになった。
2017年、小松さんが主催、プロデュースした中國語と日本語を駆使した舞臺公演「3年前の君へ」は、日本での公演だけでなく、上海公演も実現(xiàn)した。この舞臺はある中國人女性が日本を旅行で訪れた際、自殺を図ろうとしていたある男性を発見して勵(lì)ますシーンからスタートする。その後、一緒に起業(yè)し、誤解など紆余曲折を経て、戀が芽生えていく。小松さんは、「これは戀愛を描いた舞臺。僕の思いをそこに込めた」と話す。そこには、中國のファンが自分を救ってくれたこと、助けてくれたことに対する小松さんの感謝の思いが込められている。そして、「男女間の感情の波は、中國と日本の間にある誤解やトラブル、コミュニケーションなどを象徴している。中日両國の國民が、偏見を取り除いて、いろんな角度から相手國の國民を理解し、誤解を互いに解き、一緒に歩むことを願(yuàn)っている」と小松さん。
小松さんは今後の夢として、「中日間の文化発信を今後の活動(dòng)の中心とし、さらに多くの映像作品を通して、リアルな中國を日本人に伝えたい。そしてリアルな日本についても中國人に伝え、日中交流の面で頑張りたい」と語った。
小川夏果さん:女優(yōu)から中日文化を伝えるプロデューサーへ
東京のある録音スタジオには、映畫監(jiān)督と共に、忙しそうに働く小川夏果さんの姿があった。
2013年頃から日本の蕓能界で活動(dòng)するようになった小川さんは、「海難1890」、「信長協(xié)奏曲」、「真田十勇士」といった映畫や、「TEAM -警視庁特別犯罪捜査本部」、「十月十日の進(jìn)化論」、「刑事7人」といったドラマに出演した。
日本の蕓能界で女優(yōu)として活躍する小川夏果さん (寫真?本人提供)。
しかし、仕事が軌道に乗っていた2019年、家族や友人の反対を押し切り、中國への留學(xué)を決めた。
中國に留學(xué)した理由について、小川さんは、「何度か中國に旅行に行ったことがあり、中國の魅力に惹かれた。また當(dāng)時(shí)出演することが多かった時(shí)代劇について學(xué)ぶ中で、日本の歴史や文化は中國と密接な関係があることを知り、中國に行って學(xué)び、もっと突き詰めたいと思うようになった」と説明する。
2019年9月、小川さんは北京電影學(xué)院に留學(xué)した。そこでは、中國人の率直さや思いやりが深く印象に殘ったという。また、「歴史認(rèn)識という面では、両國の人々の間にはギャップがあるものの、日本のことが好きな中國人もたくさんいる。でも、中國に関する良い情報(bào)は、日本にはなかなか屆かない。そのため、自分の作品を通して、日中間に交流の懸け橋を作りたいと思った」と語る。
ところが、留學(xué)から數(shù)ヶ月で、新型コロナウイルスの感染拡大が発生し、小川さんは帰國せざるを得なくなってしまった。この3年、小川さんは中日文化交流を主な仕事としている。2020年、小川さんは司會として、中日が提攜して製作したアニメキャラクターを日本でPRするイベントに參加した。そして、今年はプロデューサーとして北海道へ行き、中國の稲作文化の起源に迫るドキュメンタリーを製作した。
映畫の編集作業(yè)に忙しい日々を送る小川夏果さん(スクリーンショット)。
小川さんは現(xiàn)在、同じく新型コロナウイルスの影響で日本に帰國せざるを得なかった北京電影學(xué)院で映畫監(jiān)督の勉強(qiáng)をしている友人と一緒に、監(jiān)督自身の経験を描く映畫を製作している。小川さんは、女優(yōu)としてその作品に出演しているほか、プロデューサーとして製作にも関わっている。監(jiān)督の卒業(yè)作品であるその映畫の完成を目指して、最後の編集作業(yè)に勤しむ小川さんは、また是非北京に行きたいという思いを、期待に満ちた目で語っていた。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2022年12月16日