山西省に住む範(fàn)鋭さんは、日本や米國が出版した古い地図や図書などを収集しており、それらの資料では「釣魚島(日本名?尖閣諸島)」が日本に屬するとは示されておらず、中國に屬することを証明しているとしている。中國新聞網(wǎng)が報じた。
2013年、範(fàn)さんは中國のある図書サイトを通して、釣魚島関連の資料を多數(shù)手に入れた。これらの資料には、1907年に米國で出版された「中國人の特性」(Chinese Characteristics)と題する書籍や1994年に中國の學(xué)者?呉天穎氏が中國社會科學(xué)文獻(xiàn)出版社から出版した「甲午戦爭(日清戦爭)以前の釣魚島帰屬」、1934年に日本で発行された地図などが含まれる。範(fàn)さんは、「海外留學(xué)から帰國後、仕事をしながら、『太原留學(xué)帰國者クラブ』を立ち上げた。同クラブは、『読書會』などのイベントを頻繁に開催しており、意図せずもこれらの歴史資料が集まった」としている。
釣魚島問題を40年以上研究している?yún)沂悉霭妞筏俊讣孜鐟闋幰郧挨吾烎~島帰屬」は、増訂版が2013年7月に中國民主法制出版社から出版された。
呉氏によると、釣魚島をめぐる中日の紛爭のキーポイントは、釣魚島と馬関條約(下関條約)の関係。日本は、同條約には「尖閣諸島」の割譲は記されていないため、條約締結(jié)以前から日本の領(lǐng)土であったと主張している。呉氏は、中國や海外の歴史資料を基に、釣魚島を含む諸島は當(dāng)時、同條約によって、臺灣島と共に日本に割り當(dāng)てられたため、第二次世界大戦以降、臺灣に付隨する他の島と一緒に中國に返還されるべきとの見方を示している。
範(fàn)さんによると、米國の宣教師Arthur Henderson Smith氏が1907年に出版した「中國人の特性」は、西洋諸國で中國研究の根拠とされており、広く読まれている。同書の付録である中國の地図には、釣魚島の位置に「好魚須」の音訳が表記されている。
中國にある釣魚島関連の最も古い文獻(xiàn)は、明の永楽元年(1403年)の「順風(fēng)相送」で、同島を「釣魚嶼」と記している。そして、その後の文獻(xiàn)や公式の地図でも「釣魚嶼」という名稱が採用され、清の乾隆32年(1767年)に、乾隆帝(けんりゅうてい)の命令で作成された「坤輿全図」では、福建省の方言を基に「好魚須」と記されている。
日本の昭和8年(1933年)7月5日に発行された「最新大日本地図」には、「尖閣諸島」が記載されていない。
範(fàn)さんによると、1977年に日本で出版された「幕末維新古地図大図鑑」には、ペリー來航から西南戦爭まで激動期の古地図60選が収録されている。うち、1835年に作成された地図帳「唐土歴代州郡沿革地図」に添付されていた、「亜細(xì)亜小東洋図」という東アジア図には、釣魚島の位置に「高華」と表記されている。中國の歴史資料も、隋(581年-618年)の時代から、釣魚島が「高華嶼」と呼ばれていたことを示している。
範(fàn)さんは、「『亜細(xì)亜小東洋図』では、日本政府が高華區(qū)域の諸島を黃色で『唐土(中國領(lǐng)土を意味する)』と表示している?,F(xiàn)在、日本政府は、明治政府が1885年以降、沖縄県からの上申に基づき実地調(diào)査を數(shù)度にわたり実施し、清國による領(lǐng)有の事実がないことを慎重に確認(rèn)したうえで、 1895年に閣議決定により『尖閣諸島』を沖縄県に編入したと主張しているが、 明らかに矛盾がある」と指摘している。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年4月22日
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