「中國(guó)人民抗日戦爭(zhēng)60周年記念」の記念章をつけた筒井重雄氏のスーツ。
1920年10月11日、筒井重雄氏は群馬県の農(nóng)家に生まれた。1940年に出征し、中國(guó)侵略日本軍の南京航空部隊(duì)に配屬された。1945年1月、飛行機(jī)の故障により不時(shí)著した筒井氏は八路軍の捕虜になった。日本が敗戦し降伏したあと、筒井氏は東北部に移った。1946年9月、中國(guó)人民空軍の一員として舊東北航空學(xué)校の飛行教官に任命された。
「父は志願(yuàn)して出征したが、八路軍の根拠地での経験が彼の思想を180度変え、以前の軍國(guó)主義教育に影響された考え方が完全に変わり、自ら日本軍に対し投降を勧告するなど八路軍を支援した。父が日本に帰國(guó)したあと、自衛(wèi)隊(duì)のパイロットとして招かれたが、父は斷った。その原因は父の思想が完全に一変したことにある」と健史氏は語(yǔ)る。
1946年3月の東北民主連軍航空學(xué)校の創(chuàng)立から1949年10月の新中國(guó)の成立まで、筒井重雄氏ら3人の日本人教官は3年半の間にパイロット120人と女性パイロット14人を自ら養(yǎng)成し、この時(shí)の學(xué)生たちがのちの中國(guó)空軍部隊(duì)で中心的な役割を果たした。
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