日本卓球界のスター選手?福原愛 (撮影?王?。?。 |
日本の卓球選手?福原愛が21日、日本語ブログで中國語と日本語の二ヶ國語で現(xiàn)役を引退する意向を示した。また、「今後は、卓球界の発展に少しでも貢獻(xiàn)し、より多くの人に卓球を広め、卓球の素晴らしさを知ってもらいたい」と綴った。中國新聞社が伝えた。
福原選手は、「私は3歳の時に卓球を初め、今年で30歳になる。これまでの人生のほとんどの時間を卓球に費(fèi)やしてきた。人生で大切なことは全て、卓球から學(xué)んだ」としている。
また、2年前に結(jié)婚したとき、「まずはしっかりと家庭を築きたい。それから卓球界に戻りたい。同時に、後輩のために新たな道を開拓したい」と記者會見で語った言葉を覚えているとしている。彼女は、「この2年間で、若い世代の選手が大きな進(jìn)歩を遂げ、日本の卓球界のムードも大いに盛り上がってきている。そのような気運(yùn)をとても嬉しく感じると同時に、自分の肩に乗っていた重い負(fù)擔(dān)が知らず知らずのうちに軽くなっていた。だんだんと、自分が選手としての立場でやるべき使命は果たせたかな、と感じるようになった」とブログに綴っている。
福原選手は、「この二年間、色々な立場を経験する中で、選手とは違った形で攜わることで、若い世代が成長しやすい環(huán)境を作ることができるのではと考えている」としている。
福原選手は、中國語の微博(ウェイボー)でも、中國でトレーニングを積んできたことを回顧し、「東北語をかなりマスターできた。トレーニング中の朝ごはんで出た油條(揚(yáng)げパン)が特別美味しかった。中國各省のチームによるサポートに心から感謝している」と投稿した。そして最後に、「卓球は私にとって恩人。これからの人生の次のステージを歩むなかで、この感謝の心を忘れずにいたい。より多くの人に卓球を広め、より多くの人の素晴らしさを知ってほしい」と締めくくった。
福原愛選手は1988年に宮城県仙臺市に生まれ、3歳から卓球を始め、「天才卓球少女」と呼ばれた。2004年にはアテネ五輪に出場して、日本で史上最年少の五輪出場選手となった。2012年のロンドン五輪では、女子団體での銀メダル獲得に貢獻(xiàn)した。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語版」2018年10月22日
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