インターネットで動(dòng)畫配信をする大學(xué)3年生(資料寫真)
「學(xué)校で勉強(qiáng)するよりネット有名人になったほうがいいし、大學(xué)入試を受けるより整形したほうがいい」。実用主義の角度から見れば、學(xué)校で勉強(qiáng)することは確かに割に合わないし、時(shí)間的にも金銭的にも、子供のいる家庭が十?dāng)?shù)年にわたって努力する必要がある。しかしその結(jié)果努力が報(bào)われるとは限らない。いい仕事が見つかるか、大金を稼げるかは未知數(shù)なのだ。
しかし學(xué)校での勉強(qiáng)は本當(dāng)に不要なのだろうか?かつて「大學(xué)受験の作文問題はダサい」と痛烈に批判し、大學(xué)に行かなくてよかったと言っていた韓さんも後に前言を覆した。韓さんは昨年微博(ウェイボー)で、退學(xué)は失敗だったと認(rèn)め、これは自分が一つの挑戦に耐えられず、引き下がらざるを得なかったことを示しており、學(xué)ぶに値しない。學(xué)ぶに値するあることは常に「學(xué)ぶ」ということそのものにあるとしている。
そして李想さんもその書き込みに対し、「もしいい大學(xué)に受かっていい仕事が見つかっていたら、起業(yè)なんてしなかった。いい大學(xué)に受からず、いい仕事も見つからなかったからこそ、起業(yè)した。もしいい仕事も見つからず、起業(yè)もしたくなかったら、ちゃんと學(xué)校に行ったほうがいい」とコメントを寄せている。
「香港四大才子」と呼ばれる蔡瀾さんも、若者の現(xiàn)狀に注目している。ネット有名人になってお金を稼ぐか、學(xué)校で一生懸命勉強(qiáng)するかの議論について、「學(xué)びは基礎(chǔ)。どんなことも學(xué)んでおくべきだ」と言い切った。
「香港四大才子」と呼ばれる蔡瀾さん(資料寫真)
ネットユーザーも、「ネット有名人はすぐ旬が過ぎてしまいが、勉強(qiáng)は一生もの」と同様の意見を寄せている。また、「ネット有名人になるのもそんなに楽じゃない。勉強(qiáng)とネット有名人、この二つのうち一つがきちんとできたらもう大したものだ」と考える人もいる。
さらには、「この問題は実はすごくくだらない。なぜなら自分は勉強(qiáng)もできないし、ネット有名人にだってなれないから。小さい頃に清華大か北京大かで悩むのと同じで、自分が無駄に考えすぎていたと気付くのは大人になってからなんだよね」と自嘲する人もいる。
北京青年報(bào)は「『學(xué)校で勉強(qiáng)するよりネット有名人のほうがいい』というのは偽の命題」と指摘している。知識(shí)経済の到來に伴って、多くの分野で技術(shù)人材や専門人材を必要としており、知識(shí)の重要性はますます明らかであり、學(xué)校での勉強(qiáng)は不要どころか、ますます重要になってきている。今後の社會(huì)では、「文盲」は字を読めない?書けない、學(xué)校に行っていなことを指す言葉ではなくなり、學(xué)びが足らず、知っている知識(shí)が少なく、學(xué)び続ける能力がないことを示すようになるだろう。もしその時(shí)が來たら、誰が「學(xué)校の勉強(qiáng)は不要だ」とか「學(xué)校で勉強(qiáng)するよりネット有名人になったほうがいい」などというでたらめを言うだろうか。そのほうがお笑いぐさと言えるだろう。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年6月3日