新疆維吾爾(ウイグル)自治區(qū)トルファン市から東に向かい、火焔山南麓のゴビ砂漠を訪れた。そこから北に4キロ進(jìn)むと、有名な鄯善県吐峪溝郷洋海村だ。洋海墓地がある火焔山には多くの溝がある。墓地の北側(cè)には吐峪溝と呼ばれる溝がある。吐峪溝には1年を通じ水が流れる川がある。この川は天山上流から流れてくるものだ。川はちょうど洋海墓地の周辺を流れており、臺(tái)地を形成している。この草1本も生えない臺(tái)地は自ずと、死者を埋葬する墓地になった。ここに埋められる人がますます増えており、大規(guī)模な洋海墓地が徐々に形成された。光明日?qǐng)?bào)が伝えた。
墓が多いことにより、考古學(xué)者は多くの発見をしている。墓の副葬品は陶器と木製の器が中心で、これに革具、毛織物、銅器、骨角器、鉄器などが続く。同時(shí)に多くの人及び動(dòng)植物の標(biāo)本が出土している。
楊益民氏の研究チームは、ある墓に副葬されていた陶器に殘された食べ物を赤外線分光法で分析し、でん粉狀のもの、小麥粉食品と判斷した。さらにでん粉粒及び表皮橫細(xì)胞の分析により、これが小麥と大麥を挽いて粉にし混ぜて作った食品であることが分かった。斷面は比較的緻密で、発酵されていなかったことが分かる。そのためこれは中國(guó)が小麥と大麥で食品を作った最も古い証拠となった。この研究成果は紀(jì)元前のトルファンの先住民の生活において麥類植物が重要な地位を占めていることを示している。これは古代の大麥?小麥の利用方法の変化、食べ物の加工法、東洋及び西洋の文化交流を知るための重要な情報(bào)であり、中國(guó)の悠久な小麥粉食品文化を豊富なものにした。
洋海2號(hào)墓地の一つの墓の蓋には1メートル以上のブドウ蔓がある。これは當(dāng)時(shí)トルファンで暮らしていた人々がブドウの栽培と管理を身につけたことを意味する。これは中國(guó)內(nèi)で見つかっているうち最古のブドウ蔓標(biāo)本で、トルファンのブドウ栽培の歴史を約3000年遡らせた。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年6月12日