河南省永城市高荘鎮(zhèn)車集村は村內(nèi)の廃棄された池の汚泥を取り除いた際に、中の石碑を発見した。市の文化財(cái)専門家は、これは清朝?康熙5年(1666年)に碧霞元君行祠が再建された時(shí)に刻まれたもので、今から353年前のものと鑑定した。中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。
筆者はその後、高荘鎮(zhèn)車集村を取材した?,F(xiàn)場(chǎng)で目にしたこの石碑は青石製で、高さ175センチ、幅75センチ、奧行24センチ。細(xì)かく彫刻が施され、保存狀態(tài)も良好だ。水で洗うと模様がはっきり浮かび上がった。
永城市文化?歴史専門家、博物館元館長(zhǎng)の李俊山氏によると、車集村では數(shù)年前に清朝の道光年間に立てられた「湘山行宮碑」が見つかり、現(xiàn)在は市の文化財(cái)主管機(jī)関に収蔵されている。今回出土した石碑と同じく、車集村の東西両端に寺があったという記載がある。また村人の話によると、村には5軒の寺があったという。これらは車集村のかつての賑わいを反映している。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年5月7日