ここ數(shù)十年の中國の変化を一言で表現(xiàn)すると「以前、中國人はお金を持っていなかった。そして今もやはりお金を『持って』いない」だ。これは米國籍の廈門大學(xué)教授、ウィリアム?N?ブラウン氏(中國語名「潘維廉」)の言葉だ。ブラウン教授は1981年に米空軍を退役。7年後、32歳の時(shí)に自分の會社を売卻して、一家で中國に移住した。以來、中國に暮らして30年以上になる。中國日報(bào)が伝えた。
自分の目で見た中國を手紙で友人らに伝え始めたブラウン教授
20歳の頃のブラウン教授は中國に全く興味がなかったという。彼は、「學(xué)校でアジアに関する知識は何も學(xué)んだことがなかったからだ。私が行きたかったのはオーストラリア、アフリカ、中南米、中東。アジア以外なら基本的にどこでも良かった」としている。
だが中國に來て、中國大陸の全てに惹きつけられることに気づいた。ブラウン教授は矢も楯もたまらず、自分の目で見た中國を手紙で親族や友人に伝え始めた。1988年に家族に宛てた手紙では、「中國には良い所も悪い所もある」と書いたが、それでも親族や友人は機(jī)嫌を損ねたという。「彼らは悪い面だけを聞きたがっていた。それは自分達(dá)の方がより優(yōu)れていると思えるから」とブラウン教授。
また、「中國で変化しているのは沿海地域だけだ。僻地に変化はない」という手紙を寄こした西側(cè)でいわゆる中國専門家を稱する一部の人すらいた。
こうした手紙にブラウン教授は、「どうして分かるんだ?あなたは行ったことがないじゃないか」と反論した。
「君も行ったことがないじゃないか」と、彼らは言い返した。そこで中國の僻地で何が起きているのかを、自分の目で見に行くことを決意した。
中國を2回にわたって周遊
1994年、當(dāng)時(shí)は道路の狀況はとても悪かったが、ブラウン教授は家族と共に4萬キロ以上車を走らせて中國各地を巡った。西蔵(チベット)や內(nèi)蒙古(內(nèi)モンゴル)、ゴビ砂漠にさえ行った。
道中、特に注目したのは寧夏回族自治區(qū)や青海省などの貧しい地域だ。そして僻地の貧しい人々を助けるために中國政府の払っている努力に、深く感動した?!府?dāng)時(shí)、寧夏は非常に貧しかった。だがすでに大きな力を投じて道路を建設(shè)し、電気を通していた」とブラウン教授。
ブラウン教授は2019年にももう一度中國を周遊した。中國にどれほどの変化が生じたのかという點(diǎn)について彼は、「1988年當(dāng)時(shí)、中國人はお金を持っていなかった。そして今もやはりお金を『持って』いない(今は全てスマホで決済できるため)」というユーモラスな一言で表現(xiàn)している。
そして、「今日では、遠(yuǎn)く離れた寧夏やチベットの寒さの厳しい山間部の農(nóng)民でさえもWeChatで私と交流できる。彼らはネットで物を売買している。僻地の貧しい人々に貧困脫卻のツールを提供した中國のやり方に重要な意義があることは、事実が証明している」とした。
経済的に貧しく、物資が不足していた中國が世界第2のエコノミーとなっていく変化を目の當(dāng)たりにしたブラウン教授が感慨深く思うことが1つある。それは、中國は軍事的な手段ではなく、完全に経済的な手段によってそれを成し遂げたという點(diǎn)だ。
ブラウン教授は、「中國はすでにもう弱い國ではないのだから、中國の富を空手で搾取しようと幻想を抱いてはならない。中國で金を儲けたいのなら、本當(dāng)のビジネスを行い、真の価値を提供しなければならない」ということを、西側(cè)の一部の政治屋にはっきりと認(rèn)識して欲しいと考えている。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年3月2日