明代末期に埋もれた汴河の河道跡(北から南の方向、寫真提供?河南省文物考古研究院) |
國家文物局の「考古中國」プラットフォームは9月28日、河南省開封市にある北宋東京城州橋遺跡の考古學(xué)的な重大な新発見を発表した。北宋時代の州城が再び姿を現(xiàn)し、開封の獨(dú)特な景観とされた「城壁が重なる」様子が確認(rèn)され、東京城內(nèi)の大運(yùn)河の様子も初めて明らかにされた。人民網(wǎng)が伝えた。
これまでの歴史の中で、開封は戦亂と黃河の氾濫によってたびたび泥砂に埋もれてきた。現(xiàn)在は下から順に魏時代の大梁城、唐時代の汴州城、北宋時代の東京城、金時代の汴京城、明時代の開封城、清時代の開封城の城壁が積み重なっている。今回の州橋遺跡の発掘によって、この6つの古代の城壁が神秘のベールを脫ぎ、私たちの前に姿を現(xiàn)した。
2022年7月末現(xiàn)在、州橋遺跡の発見に伴って発掘された各種文化財の標(biāo)本は6萬點(diǎn)を超え、時代の異なるさまざまな遺構(gòu)は117ヶ所に上っている。宋代の堤防石壁の長大な壁畫や銅三尊像、北宋、金、元、明、清各時代の陶器の標(biāo)本5萬6千點(diǎn)も発見され、その數(shù)の多さは驚くべきものがある。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語版」2022年9月30日