2013年3月22日、習近平國家主席はモスクワに到著し、國賓としてのロシア訪問を開始した。習主席は「ロシアは私が中國の國家主席に就任してから最初に訪問した國だ。この選択は、中國がロシアとの関係発展を非常に重視していることを示すものだ」と語った。
そして2023年3月にも、國家主席に選出された後、習主席は初の訪問國としてロシアを選んだ。プーチン大統(tǒng)領(lǐng)との會談時、習主席は「我々の車列が通ると、多くのロシア國民が手を振って挨拶してくれたことに、私は中露関係に厚い民意の基礎(chǔ)があることを深く感じた」と述べた。
■懸け橋となるべく努力する
「國の交わりは民の相親しむに在り」との言葉通り、10年前の訪露時の最後の行事として、習主席は特に時間を割いてロシアの中國研究者、中國語を?qū)Wぶ學生、メディアの代表と會見した。中露間の文化の使者たちを前に、習主席は深い感慨を込めて「まさに両國の文化の長期にわたる交流と融合があってこそ、中露の友好はしっかりとした基礎(chǔ)の上で勢いよく発展するのだ」と語った。會見に參加したロシア國立人文大學孔子學院のロシア側(cè)院長は「習主席がプーシキン、レールモントフ、トルストイなどロシアの文豪についてすらすらと語ることに、深く敬服した。習主席のロシア初訪問後、中露の人的?文化的交流は全面的に深まり、両國の友情は大きく前進した。私は常に習主席の激勵の言葉を覚えており、文化交流?意思疎通の懸け橋となるべく努力している」と語った。
■さらに多くの若者に影響を
「青年は人類の進歩の希望であり、中露友好の未來でもある」。中露関係の発展において、習主席は青年間の友好的交流の積極的な役割を特に重視している。2018年9月、習主席はプーチン大統(tǒng)領(lǐng)の招待に応じてウラジオストクで第4回東方経済フォーラムに出席した。習主席は挨拶で「漂流瓶の男の子」のエピソードに言及した。
この男の子は四川省北川県の出身で、名前は席浚斐という。2008年の四川大地震後、ウラジオストクの「海洋」全露児童センターは、療養(yǎng)が必要な被災(zāi)地の子どもたち996人を相次いで受け入れた。席浚斐君もその1人だった。被災(zāi)地の子どもたちは同センターで行き屆いたケアを受けた。帰國前、席浚斐君はロシアの人々への感謝と將來の生活への希望を書いた手紙を瓶に入れ、海に流した。不思議なことに、4ヶ月後、この瓶は「海洋」児童センターに戻って來た。
現(xiàn)在、席浚斐君はロシア極東連邦大學の博士課程2年生として學んでいる。2018年に児童センターで習主席と會った時の事を思い起こして、席浚斐君は「習主席は、中露友好事業(yè)の後継者となり、中露の世々代々の友好という偉大な事業(yè)のトーチを消すことなく渡していくよう、若者を激勵した。自分自身の経験を通じて、さらに多くの若者たちに影響を與え、中露の人的?文化的交流をさらに促進していきたい」と語る。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2023年6月12日