結(jié)婚と戀愛を切り口に中國の社會や各世代を分析?紹介している「シン?中國人」の著者である斎藤淳子さんは、筆者にとってほぼ同じ時期にこの國で學(xué)び、働き、家庭を築き、子育てをして、共に四半世紀ほどをこの國で過ごしてきた「同志」のような存在。そのため「シン?中國人」を読みながら、思わず、「そうなの!そうなんだよね!」と本に向かってうんうんと大きくうなずいてしまった。そしてふと思った。この怒濤の変化に揉まれ、そんな変化に麻痺しそうになりながら、1冊の本にまとめようと思った斎藤さんのパワーの源はどこにあるのか?今回は対談という形でそんな斎藤さんと「ガチな中國」での生き方を語ってみた。人民網(wǎng)が伝えた。
ライターの斎藤淳子さん(撮影?張麗婭)。
――戀愛と結(jié)婚を切り口にした訳は?
玄番 まず最初にどうして戀愛と結(jié)婚を(著書の)切り口にしようと考えたのですか?読み始めた時に、これをとり上げるんだ!と印象的だったので。
斎藤 そう思った時の最初のイメージってなんでしたか?
玄番 「中國の人って戀愛が苦手そうなのに」でした。
斎藤 あはははは!
玄番 中國の人ってコミュニケーション能力はあるほうだし、ガンガン前向きですけど、著書でも紹介されていたように、制度や戸籍の関係から、単純に「I love you」という思いだけでは、戀愛できないというのが、私が中國に來てすごく感じたことでした。私の知る中國人の多くが、結(jié)婚相手が住居となる不動産を保有していないとだめだとか、北京市の戸籍でなければだめだとか、しがらみが多すぎて、戀愛を楽しめていない気がしていました。だから今回の戀愛と結(jié)婚をテーマにしたことに驚きを感じたんです。単純なラブストーリーにはならないテーマをどういう風(fēng)に加工するのかな、というのがすごく興味深かったです。
斎藤 それは玄番さんがこのテーマについてすごく詳しいからそう感じたのだと思います。逆にまさにそれが狙いでした。中國のことを、その日常を、わかってもらいたかったからです。個人の顔が見えるような、隣で中國の陳さんや王さんとしゃべっているような感じになってもらえるような本を書きたかったからです。それは例えば中國のグルメや教育でもよかったのかもしれません。実際、私もこれまでそうした記事をたくさん書いてきたので。ただその中でも何か自分がドキドキできるものを書きたいなと思った時に、あ!これだ!と。戀愛には世界共通のドキドキ感があるし、私自身がもっと頑張れ!と言いたいような深い所にまで觸れることができると。私がやりたかったのは、まさに玄番さんが今おっしゃったような、戀愛や結(jié)婚という切り口から見える様々なものがある中國の社會を、読者に見てもらうことでした。
北京日本倶楽部主催の「シン?中國人」出版記念講演會で講演する斎藤さん(撮影?玄番登史江)。
――とにかく広い中國をどうやって1冊の本にまとめる?
玄番 私自身も「イマドキ中國」というコーナーで、日本人も共感を覚えやすいテーマで中國を紹介していますが、その際一番難しいのが、中國はとにかく広くて、地域差や世代間の差がものすごい點。だからこそそんな中國を1冊の本にまとめたのがすごいと思いました。本を書くにあたり、一番苦心されたことは何ですか?
斎藤 それは中國を語る時に常にある問題で、本當(dāng)にピンキリなので、どこを切っても同じ柄が出てくる金太郎飴のようにはいかないです。だから中國を紹介する本を読む際は、まず著者はどこに立ち、何を見ているのかという點をチェックすべきだと思っています。私の場合は、インタビューをした人は限りがあるので、なるべく北京の人に限らず様々な地域からやって來た人を集めるようにしました。その一方で、中國の世相や流行っているものにも注目し、それらを取り上げる際にも、それを周りにいる人に聞いて、そのことについてどれだけの人が本當(dāng)に注目して興味を持っているか、反応するかをすごく気を付けています。欲を言うならもっと中國全土を行腳して、色々と話を聞いてくれば良いのですけれどね。
玄番 中國全土を行腳した場合、それを取りまとめるのがとても大変な作業(yè)になりそうですね。
斎藤 だから「小紅書」や「抖音」などを通じて、若い人が見ているものをチェックするといった方法も利用するしかないかなと思っています。人気があったり、話題になったりしているのは、それなりの數(shù)の人の感性に響いているからで、取り上げるに値する話題だと思っています。それらを通じて、あまり大きくずれないように、(著書の)バランスをとれたと思っています。
北京日本倶楽部主催の「シン?中國人」出版記念講演會に集まった人々(撮影?玄番登史江)。
――どうやって常に新鮮な目で中國を捉え続ける?
玄番 それから斎藤さんに質(zhì)問したかったのが、どうやって常に新鮮な目で中國を捉え続けるか?という點。
斎藤 これはやっぱり玄番さんじゃないとわからない視點だと思いました。おっしゃる通り、これは一つの課題です。どうしても麻痺してきてしまうので、日本から初めて來た人の感覚をすごく大事にしています。そういう方に私の記事を読んでもらって感想を聞いたり、(中國を)全く知らない人が読んだらどう感じるかという點をすごく意識しています。あとは自分の中で何か引っかかった際には、その時は何の理由なのかは分からなかったとしても、メモしておくこと。その時すぐに理論的な理由が分からなかったとしても、あの時にひっかかったのは何だったんだろうなと考えられるようにメモをしておくようにしています。
玄番 なるほど。こういう疑問を抱いたのは、多分私自身も同じことをやろうとしているからだと思います。完全に日本人のみの感覚でもなく、完全にローカライズされた感覚でもなく、という立ち位置がとても大事だと思っているので、駐在などで日本から中國に來たばかりというような方々とお話する機會を大事にしています。
斎藤 それは大事だと思います。彼らが何を感じて、何にビックリするのか、という點はすごく重要ですし、そういう感度をあげておくのはすごく大切だと思います。それと起きていることには何か理由があると常に思うこと。中國ってこうだよね、で終わりではなく、その起きていることに対して、皆はなぜそれを支持しているのか?そういうことになっているのかという點についても常に考えるようにはしています。
ライターの斎藤淳子さん(寫真左)と筆者(撮影?張麗婭)。
――愛は人生のフックになる!
斎藤 著書のレビューの中に、官庁の資料を見ているみたいでつまらなかったけれど、読み終えたら中國の人が愛おしくなりましたというのがあって、これこそ私の欲しかった感想だと思いました。つまらない本だと思って読んでいたら、中國の人が身近に感じた。なんだ、私たちとそんなに変わらないんだと思ってもらえたなら、とてもありがたいです。
玄番 中國が全て良いとは言わないけれど。
斎藤 そう。全然そんなことを言うつもりはないです。
玄番 でもお互い様ですよね。あなたにも問題があるし、私にも問題がある。でも悪い所ばかり見ていたら、お付き合いはできません。
斎藤 自分にとっても何もいいことが無いですよね。
玄番 全くです。良い所を見て、クローズアップすることで、それこそ小さな問題が「まぁ、いいか」という風(fēng)になれば良いなと思っています。
斎藤 だから悪い所ばかり見るような悪循環(huán)を打ち破るのは愛しかないと思っています。愛は必ずしも異性へのロマンスでなくてもいい。例えば可愛い子貓を見て好きだなとか、私が好きなこのコーヒーは素晴らしいとか、なんでもいいと思うんです。そういう感性をもっと研ぎ澄まして、楽しんで生きていけば、逆にそれを通して、國とかを越えられて、お互いを尊重し合うことができると思う。だから愛はフックになると思うんです。何かを好きなることが重要。中國にいる以上、中國の何かを好きになれば、入っていけると思います。
玄番 それで違う中國が目の前に広がっていく、と。
斎藤 ええ、全然別のものが見えてくると思います。
玄番 それは本當(dāng)にこの國だからというのではなくて、全てに言えると思うし、日本で日本語を勉強している中國人にしても、中國で中國語を勉強したり、仕事で來た日本人にしても、自分の目で何かしら興味のドキドキを探すことができたら、全然違うと思います。また自分からそういう風(fēng)にしていかないと、なかなか異國の地でずっとは暮らせない。
斎藤 本當(dāng)にそうだと思います。
最後に
斎藤さんの「愛のフック」探しは今も継続中で、最近はスイングダンスを習(xí)い始めたという。音楽を身體で感じて、パートナーと組んで踴る際の人間のぬくもりが心地良いとキラキラした目で語ってくれた斎藤さん。対談で私自身も彼女のパワーを浴びて、まるで日光浴をしたような気分を味わわせてもらった。(文?玄番登史江)
「人民網(wǎng)日本語版」2023年7月10日