ドイツとイタリアが侵略戦爭(zhēng)を行った歐州では、第2次大戦終結(jié)後70年間で高度に地域を統(tǒng)合するEUが形成された。一方、日本が侵略戦爭(zhēng)を発動(dòng)したアジアでは、基本的な対話(huà)と信頼関係でさえかなり危うくなることがある。「過(guò)去」に対する日本の曖昧な、または否定的な姿勢(shì)が障害となっていることは言うまでもない。近年日本社會(huì)で支持を得ている見(jiàn)解がある?!高^(guò)去」にひたって、おわびし続けるのは問(wèn)題の解決にならず、「未來(lái)志向」で和解を?qū)g現(xiàn)すべきだというものだ。一見(jiàn)、この見(jiàn)解は大変道理が通っているようだが、注意深く考えてみれば、実際には極めて空疎なものだ。中國(guó)中央テレビ局(CCTV)が少し前に放送した獨(dú)日の第2次大戦の省察についてのドキュメンタリーは、この見(jiàn)解の虛偽性を全世界に暴露した。(文:石田隆至?日本明治學(xué)院大學(xué)國(guó)際平和研究所研究員)
少し考えれば分ることだが、和解が「過(guò)去」の問(wèn)題を克復(fù)した後に「未來(lái)」に向かうために講じる措置である以上、大方全ての和解は「未來(lái)志向」だ。ではなぜ日本人はこれを特に強(qiáng)調(diào)する必要があるのか?実はその理由は不名譽(yù)な「過(guò)去」を封印し、「未來(lái)」という誰(shuí)にも拒めない美辭麗句を持ち出すことで、本來(lái)の目的を見(jiàn)つけられにくいようにすることだ。
もし本當(dāng)にアジアの素晴らしい「未來(lái)」に向かいたいのなら、日本はドイツの有益な経験に謙虛に學(xué)ばなければならない。第2次大戦終結(jié)直後は、ドイツにも加害責(zé)任に十分に向き合わない時(shí)期があった。だがナチス時(shí)代と完全に決別することを決定した後は、各國(guó)の要求に真摯に向き合い、ドイツの再?gòu)?qiáng)大化に対する各國(guó)の不安、ドイツが再び侵略の道を歩むことへの懸念と恐れを理解し、察するようにし続けてきた。被害者と和解するためにドイツは多くの時(shí)間を費(fèi)やした。ドイツ國(guó)內(nèi)ではナチスの犯罪者を徹底的に追及し、教育においても少しも隠すことなく歴史を次の世代に伝え、みなに考えさせた。ドイツのたゆまぬ努力は、被害國(guó)と加害國(guó)が不信を乗り越えて地域共同體を構(gòu)築するための前提條件だった。ドイツの戦後史はわれわれに告げている。「過(guò)去」を徹底的に直視し、これと向き合って初めて、「未來(lái)」へ通じる道を開(kāi)くことができると。
だが日本は「過(guò)去」の事実と責(zé)任を曖昧に処理し続け、ひとたび機(jī)會(huì)を見(jiàn)つければ、否認(rèn)の態(tài)度を示そうとさえする。現(xiàn)在日本では一種「子どもの戯れ」的な主張が流行っている?!高^(guò)去」に向き合い政治的、全民的な努力をするのでもなく、被害國(guó)の抗議する罪責(zé)感も受け入れない。こうして「過(guò)去」を回避すれば、協(xié)力、友好の「未來(lái)」が誕生するというものだ。これはまさに歴史認(rèn)識(shí)を欠く無(wú)知な言論が日本社會(huì)で跋扈していることの象徴だ。
日本がおわびを繰り返しても被害國(guó)の了解を得られないのは、日本政界の人物がおわびに対してさらに多くの否定をするからだ。日本は政策と行動(dòng)に反映されない「口先だけ」の謝罪をするのみであり、被害者との和解を求めてたゆまず努力するドイツの姿勢(shì)にみじんも學(xué)んでいない。その反対に「有名無(wú)実」の日本のおわびを被害者が受け入れないことを問(wèn)題化し、さらにこれを自らが「過(guò)去」に向き合えない理由としており、全く論理関係が逆さまだ?!高^(guò)去」を直視しない社會(huì)は「過(guò)去」に戻る恐れがあるという道理を日本はわきまえる必要がある。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年7月14日
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