日本人の丸山厳さん(80)は、ハルビンで生まれ育ち、日本敗戦翌年の1946年に、両親に連れられハルビン市から葫蘆島の港へ移り、そこから船で日本に帰った。日本の敗戦および中國人民抗日戦爭勝利70周年の前夜、丸山さんは2人の日本人とハルビンを訪れ、戦爭を思い起こし平和を呼びかけながら、自転車に跨り、當(dāng)時(shí)撤退したときと同じ道を辿って葫蘆島市に向かった。
「我々の世代の人間は歴史舞臺から退こうとしている。日中の交流は若い世代にかかっている」。そのために、丸山さん3人は7月20日、吉林大學(xué)で同校日本語學(xué)部の學(xué)生と交流を行った。新文化報(bào)が伝えた。
中國の恩人を捜し求めて
丸山さんは1935年にハルビンで生まれた。當(dāng)時(shí)父親は高官の秘書をつとめ、母親は主婦をしていた。丸山さんは、日本が敗戦して日本に帰國する前、日本人はハルビンで厳しい生活を余儀なくされていたと振り返る。
丸山さんによると、分部街にいた時(shí)、いつも生活を支えてくれた中國人がいたという。丸山さんは「中國人は本當(dāng)に親切」と語り、その恩人を探したいという思いがいつも丸山さんの脳裏にあったという。
丸山さんと2人の日本人自転車愛好家は、7月12日にハルビンを訪れ、訪れるや否や恩人を探す旅が始まった。結(jié)局見つけることはなかったものの、ハルビンでの4日間に、丸山さんは朱さんという名の當(dāng)時(shí)の隣人と出合った。この隣人も今年80歳を超えていた。
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