周副館長によると、「シルクの文化財(cái)は保存が難しく、加えて出土したシルクの品は長期間液體に浸かっていたため、深刻な老化と破損が進(jìn)んでいる。応急保護(hù)とは、現(xiàn)場(chǎng)で文化財(cái)にできる限りの応急処置をすぐに行うこと??茖W(xué)的な方法で消毒をしたり、現(xiàn)狀を記録したり、情報(bào)を読み取ったり、広げたり、洗浄したり、伸ばしたり、乾燥させたりして、出土してすぐの特殊な段階で適切な処理を行い、その価値を守り、保護(hù)、修復(fù)作業(yè)の基礎(chǔ)を據(jù)える」。
趙氏の墓から出土したシルクの文化財(cái)は、副葬品として埋葬された衣裝と遺體に著せられた衣裝に分類することができる。16年5月6日から25日まで、黃巖博物館は前者の取り出し、洗浄、しわ伸ばし、乾燥、ラッピングなどを行い、完全なシルクの衣裝58品を確保した。これらは、趙氏が普段來ていた服と見られている。
その後、16年6月28日から8月25日まで、趙氏の遺體に著せられていた衣裝が、中國シルク博物館に運(yùn)ばれ、既定の技術(shù)マニュアルに基づいて、実験室で科學(xué)的に分析され、完全な衣裝計(jì)19品を確保した。趙氏が入棺する時(shí)に著せられた禮服と見られている。
中國シルク博物館の趙豊館長は取材に対して、「出土した完全なシルクの衣裝から、趙氏の皇族の成員の禮服と普段著を知ることができるほか、南宋時(shí)代の皇族の埋葬習(xí)慣などの文化史を知ることができる。また、南宋時(shí)代の浙江省のシルクの生産や関連の紡績科學(xué)技術(shù)史を知る手がかりともなる」と語っている。
趙館長によると、南宋時(shí)代から、中國の社會(huì)、経済、シルクの生産などは主に南に移され、海上シルクロードは対外交流において重要な位置を占めるようになっていた。浙江省沿海の明州、溫州、臺(tái)州などの地域の対外シルク貿(mào)易は日を追うごとに盛んになり、趙氏の墓から出土したシルクは、対外交流史やシルク貿(mào)易などについて知るための新たな手掛かりとなるという。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年5月17日
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