「人魚(yú)の眠る家」で、東野圭吾は人生や人間性について深く熟考している。奇異な犯罪や殘忍な殺人事件が起きるわけではないものの、この小説の內(nèi)容は非常に殘酷で、人を絶望させる狀況を描いている。東野圭吾デビュー30周年記念作品である同作品は、「死」に新たな定義を加え、社會(huì)問(wèn)題に鋭くスポットを當(dāng)てている。感情と倫理?モラルの間に矛盾が生じた場(chǎng)合、どのような選択をしなければならないのだろう?法律が定める境界と社會(huì)の判斷に差がある場(chǎng)合、どんな選択をしなければならないのだろう?
人間とは感性の生き物であるのかもしれない。薫子は自分の決めたことを貫く。理性は、「正しい選択とは何か」を人に告げるが、感情は、人にそれとは全く反対の決定をさせ、毎日クモの巣に引っかかったような絶望に襲われるとしても、その決定を貫かせることがある。社會(huì)の発展や科學(xué)の進(jìn)歩により、人々の「常識(shí)」に対する認(rèn)識(shí)も変化しており、最終的な判斷を下すのはいつも自分だ。しかし、どのような狀況でも、生と死の隔たりを超えることができるのは愛(ài)だけで、理性的な答えも、最終的には人の感情には勝てない。
同小説が刊行された時(shí)、東野圭吾は、「こんなことを書(shū)くべきか迷った。脳死患者を死んだと見(jiàn)なすかについては、これまでずっと議論されてきた。物語(yǔ)の中の瑞穂は眠った人魚(yú)のようで、目を覚ますことは永遠(yuǎn)にない。そして、植物人間とは違い、自己意識(shí)もとっくになくなっている」と語(yǔ)った。東野圭吾は、これまでにない忍耐力を発揮して、人の心の世界をじっくりと描き、人間性について深く分析している。ある読者は、「最後までずっと涙を流しながら読んでいた。それでも、最後には生きる勇気が得られた。一筋の光が、寒い部屋に差し込み、何かが少しずつ溶けたような気分だ」と感想を綴っている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2018年11月1日
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