東京五輪の競(jìng)技もすでに數(shù)日を殘るだけとなり、中國(guó)人選手たちが連日好成績(jī)をあげている。そして異國(guó)での競(jìng)技會(huì)場(chǎng)では、裏方のスタッフとして中國(guó)人ボランティアたちが活躍している。その中には留學(xué)生もいれば、日本で働き、暮らす中國(guó)人もいる。人民網(wǎng)が伝えた。
「北京五輪で五輪ボランティアという夢(mèng)が芽生えた」
慶応義塾大學(xué)文學(xué)研究科で學(xué)ぶ李さんは、東京五輪のバドミントン競(jìng)技會(huì)場(chǎng)でボランティアをしている。2008年に北京五輪が開(kāi)催された時(shí)、李さんは中國(guó)大學(xué)統(tǒng)一入學(xué)試験(通稱(chēng)「高考」)を受けたばかりだった。中國(guó)全土に広がるオリンピックの雰囲気に影響され、李さんに「いつかオリンピックのボランティアをしてみたい」という考えが芽生えた。
大學(xué)入學(xué)後、李さんはボランティア活動(dòng)に熱心に取り組み、建國(guó)60周年記念活動(dòng)や國(guó)際自転車(chē)連盟の自転車(chē)競(jìng)技(トラック)など大型イベントにボランティアとして関わった。李さんは、「人の助けになることをして貢獻(xiàn)すると同時(shí)に、知識(shí)と経験を増やすことができたことが、ボランティア活動(dòng)での最大の収穫」だと言う。北京五輪のボランティアにはなれなかったが、日本に留學(xué)中の李さんは東京五輪のボランティアに積極的に応募し、オリンピックのボランティアになるという長(zhǎng)年の夢(mèng)をかなえた。李さんは、「自分の知識(shí)と言語(yǔ)コミュニケーション力を活かして、中國(guó)チームや世界各國(guó)のスポーツ選手の助けになれる機(jī)會(huì)をもらえて、とてもうれしい」と話す。
東京五輪ボランティアの李さん(寫(xiě)真は本人が提供)。
同じように北京五輪がきっかけでオリンピックというスポーツの祭典に関わりたいという夢(mèng)を抱いた趙さんは、東京五輪ラグビー競(jìng)技會(huì)場(chǎng)のボランティアをしている。
2008年、中國(guó)全土がオリンピックムードに沸いていたことは、趙さんの高考に関する記憶の一部となっている。日本に留學(xué)後、ちょうど日本が五輪招致に成功し、趙さんはボランティアとして貢獻(xiàn)したいと考えた。東京五輪の開(kāi)催が延期され、各準(zhǔn)備作業(yè)が推進(jìn)されている間に、趙さんは學(xué)業(yè)を終え、社會(huì)人となった。立場(chǎng)が変わったことで、趙さんはオリンピックボランティアについてさらに豊富な認(rèn)識(shí)を持つようになり、東京五輪に関わることが自分の成長(zhǎng)にとって非常に意義ある記念になると考えるようになった。
競(jìng)技會(huì)場(chǎng)で記念寫(xiě)真を撮る東京五輪ボランティアの趙さん(寫(xiě)真は本人が提供)。
東京大學(xué)工學(xué)部研究科に在學(xué)中の王さんは、競(jìng)技會(huì)場(chǎng)でメディア機(jī)関がスムーズに報(bào)道を行えるよう補(bǔ)助する東京オリンピック放送機(jī)構(gòu)(OLYMPIC BROADCASTING SERVICES)のスタッフの1人だ。王さんは北京五輪當(dāng)時(shí)を振り返って、「開(kāi)會(huì)式の挨拶の中で觸れられた『オリンピック精神の真の意義は人が中心であることを追求し、自分を越え、自分を高めることだ』という言葉が強(qiáng)く印象に殘っている」と語(yǔ)った。王さんは、「オリンピックというスポーツの祭典は世界中を一つにまとめ、団結(jié)させることができる力を持っている。その一員として參加できたことは、自分にとって青春の記念になる」と語(yǔ)った。
東京五輪ボランティアの王さん(寫(xiě)真右から3人目)と他のボランティアスタッフ(寫(xiě)真は本人が提供)。
東京五輪ボクシング競(jìng)技會(huì)場(chǎng)のボランティアで、東京外國(guó)語(yǔ)大學(xué)大學(xué)院博士課程に在籍中の林さんは、「オリンピックは4年に1度のスポーツの祭典。北京五輪が開(kāi)催された時(shí)は、テレビの前で試合を夢(mèng)中で観戦し、中國(guó)の選手を応援していたことを覚えている。今は東京で留學(xué)中で、ちょうどオリンピックが東京で開(kāi)催されたので、ついにオリンピックに関わるという夢(mèng)をかなえることができた」と言う。
2020年、突然の新型コロナウイルス感染拡大で狀況は一変し、東京五輪の開(kāi)催は一年延期された。東京五輪組織委員會(huì)は2020年に全てのボランティア現(xiàn)場(chǎng)研修をストップし、多くのボランティアがオリンピックに貢獻(xiàn)するうえでのモチベーションを失った。
「オリンピックが延期されたこの1年間は、心配と期待の気持ちが交錯(cuò)していた。さまざまな困難がありながらも東京五輪が無(wú)事開(kāi)幕しただけでもう大変なことだと思う。あとは初心を持ち続け、自分のボランティアとしての仕事をしっかりとやり、オリンピックをサポートできるよう頑張るだけ」。李さんはこう話した。
「世界各國(guó)に中國(guó)の若者の姿を示したい」
王さんは、「自身の努力を通じて、カメラマンや記者などが撮影した競(jìng)技のシーンや報(bào)道を世界中の人に伝える手伝いができて、とても光栄に思う」と話す。ボランティア仲間は世界各國(guó)から來(lái)ており、誰(shuí)もが五輪に貢獻(xiàn)しようと意気込んでいるという。
ボクシング競(jìng)技會(huì)場(chǎng)でボランティアをしている林さんは、「ボランティアには各國(guó)から來(lái)た留學(xué)生もいれば、日本の各業(yè)界で働いている人もいる。これまでは一面識(shí)もなかったが、ボランティアをしている中で、地域や國(guó)の違いを忘れ、1つのチームとして互いに助け合い、共に困難に向かっているように感じている」と話す。
異國(guó)の地では、どの中國(guó)人留學(xué)生ボランティアも他の國(guó)が中國(guó)の若者を理解するための窓口であり、國(guó)を代表する「名刺」のような存在となる。留學(xué)生ボランティアたちは、「私たちの動(dòng)きを通じて、中國(guó)の若者の姿を示したい」、「中國(guó)のスポーツ選手たちが試合で懸命に戦うスピリットは、私がボランティアを続けるうえでのモチベ―ション」、「中國(guó)の選手たちが試合でベストを盡くせることを願(yuàn)っている。オリンピックで働いている全ての中國(guó)人ボランティアが中國(guó)チームを応援しています!」と語(yǔ)った。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2021年8月6日