中國の習(xí)近平國家主席は3月28日にドイツ?ケルバー財(cái)団で演説し、南京大虐殺の歴史に言及した。これについて日本の菅義偉內(nèi)閣官房長官はなんと「南京での舊日本軍による殺傷や略奪は否定していない。だが死者數(shù)については様々な意見があり、日本政府として斷定はしていない」と表明?!傅谌龂侨毡兢螝s史を取り上げたうえ、あのような発言をしたのは極めて遺憾だ」とも述べた。(文:馬振犢?中國第二歴史公文書館副館長。人民日報(bào)海外版コラム「望海樓」掲載)
南京大虐殺はこの世のものとは思われないほど殘虐であり、中國同胞30萬人以上が殺戮された。當(dāng)時(shí)の中國侵略日本軍による殘虐行為には揺るぎない証拠がある。南京大虐殺事件はすでに第2次大戦後の極東國際軍事裁判と南京軍事法廷で認(rèn)定され、首謀犯の松井石根、谷壽夫は審判を経て死刑に処された。とっくに歴史的結(jié)論が出ており、法的定論もあるのである。そして戦後の日本政府も、この二大法廷の審判結(jié)果を承諾する姿勢でいたのだ。南京軍事法廷は中國人被害者數(shù)を30萬人と認(rèn)定し、極東國際軍事裁判は大量の証拠に基づき日本軍が南京で中國人民20萬人以上を殺害したと判定した。これらは歴史の定論であり、世界が認(rèn)めている。
南京大虐殺の犠牲數(shù)の問題に関して、日本右翼は様々な謬論をでっち上げて世論を惑わしてきた。彼らは政治的必要からいわゆる「學(xué)術(shù)研究」を行い、日本軍が虐殺した人數(shù)について、當(dāng)時(shí)南京には20萬人しかおらず、30萬人を殺すことは不可能だと噓を言う。この謬論は、日本側(cè)の文書2件を示すだけで反駁できる。中國吉林省公文書館所蔵の関東軍司令部文書には、1938年2月に日本軍華中派遣憲兵隊(duì)の大木繁司令官が関東軍司令部に報(bào)告した「南京憲兵管轄區(qū)內(nèi)の治安回復(fù)狀況に関する報(bào)告」がある。文書は南京の総人口は事変前は100萬人(下関區(qū)を含まず)だったことを明記している。そして「本旬(2月28日)までに計(jì)33萬5000人が戻った」としている。南京大虐殺前後の市民人口數(shù)を比べると78萬5000人激減している。これは何を物語っているのか?遼寧省公文書館の所蔵文書內(nèi)にも、日本の中國侵略機(jī)関満鉄會(huì)社上海事務(wù)所の派遣した「南京特務(wù)班」が陥落後の南京で行った調(diào)査の報(bào)告「皇軍占領(lǐng)後の南京市概況」(1938年1月21日)がある。報(bào)告は南京市の人口は「本事変前は約106萬人だった」「南京全體が皇軍に包囲され、逃げ去る余地は全くなし」と明記している。こうした日本自らの文書記録を前にしてもなお、日本政府は「斷定はしていない」ともっともらしく言えるのか?
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