突如出現(xiàn)した新勢力「イスラム國」は、もとより中東の國家統(tǒng)治の失敗の産物ではあるが、手を替え品を替える米國の中東政策とも直接関係がある。(文:田文林?中國現(xiàn)代國際関係研究院副研究員、李故靜?武漢市社會科學(xué)院學(xué)者。人民日報海外版コラム「望海樓」掲載)
冷戦時代、米國は中東地域でソ連およびナセルに代表される地域進(jìn)歩勢力を抑え込むために、イスラム保守勢力を育成し始めた。1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、米國はアフガニスタンのイスラム武裝勢力にも資金と武器を供與した。タリバンなどイスラム武裝勢力、アルカイダなどテロ勢力の起源は、いずれもこの時期にある?!弗ぅ攻楗鄧工吻吧恧馔瑯敜?999年にアフガニスタンで結(jié)成された?!∶淄瑫r多発テロ後、米國はイスラム過激勢力の全面討伐に転じたが、2つの「対テロ戦爭」は逆にテロ勢力の拡大を招いた。「イスラム國」(當(dāng)時は「イラクのアルカイダ」)が日増しに強大化したのは、まさにイラクが內(nèi)亂に陥った後だ。オバマ政権発足後に米國がイラクから軍を撤退したことで、「イラクのアルカイダ」は再び強大化した。これと同時に、米國がリビアとシリアで「政権交代」を策動したことで、イスラム過激勢力の生存空間はさらに拡大した。
歴史はいつも驚くほど似ている。かつて米國がソ連に打撃を與えるために育成した「アルカイダ」は、「虎を飼って災(zāi)いとなる」で、ソ連のアフガニスタン撤退後に矛先を米國に向けた。だが米國は歴史の教訓(xùn)を汲み取らず、2011年の中東激変でカダフィ政権、アサド政権を転覆させるため、中東過激派勢力の復(fù)活と強大化を再び放任。最終的に「イスラム國」が突如出現(xiàn)し、米國とその同盟國に矛先を向ける事態(tài)を招いた。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」あるいは「自ら墓穴を掘る」米國の戦略的苦境は、つまるところ狹隘な「ゼロサム思考」と近視眼的思考によってもたらされたものだ。米國は中東においてかねてより「敵の敵は友」を信奉してきた。つまりそれぞれの時期に米國の直面する主たる敵に応じて「敵の敵」をわざと育成するのであり、その政治勢力が進(jìn)歩的かどうかは全く考慮しない。その結(jié)果、米國の中東政策は近視眼的で、長期的視點のないものとなる。米國とイスラム過激派との複雑な恩讐もこれによるものだ。
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