桜前線が通り過ぎ、初夏を迎えた宮城県では、気溫が徐々に上がっていた。
宮城県名取市に住む中國殘留孤児の佐藤信子さん(71)の取材に向かう道すがら、目に入ったのは、木造住宅、丁寧に刈り込まれた植木など、典型的な日本の街並だった。ここに暮らす中國人女性?唐麗忠さんからの紹介により、佐藤さんへの取材が実現(xiàn)した。人民網(wǎng)が伝えた。
殘留孤児の佐藤さんは、30年前に日本に帰國したという。素樸で親しみやすい人柄で、東北地方なまりの流暢な中國語を話すため、一瞬、中國の東北地方に來たような感覚を覚えた。佐藤さんと唐さんはいずれも中國東北地方出身で、同じような家庭的背景を持つことから、交流を深めてきたという。唐さんは佐藤さんのことを親しみをこめて「老娘(お母さん)」と呼ぶ。
取材を受けるのが初めてという佐藤さんは、カメラを前にやや緊張していた。取材中に、向かいに座った唐さんに何度も話を振るので、結(jié)局唐さんにも取材に加わってもらうことになった。まるで「世間話」をするような形で取材は進められた。
佐藤さんは厳密に言うと「孤児」ではない。中國人養(yǎng)父母に引き取られた時、佐藤さんの実母と兄は2里(約1キロ)離れた隣村に暮らしていた。両親は共に日本人で、日本で結(jié)婚した後、すぐに「開拓団」に參加し、黒竜江省慶安県に向かい、そこで佐藤さんとその兄をもうけた。
日本の敗戦直前、佐藤さんの父は徴兵され、敗戦後はシベリアに送られた。佐藤さんの母は生後間もない佐藤さんを中國人夫婦に預けた後、佐藤さんの兄を連れ、中國人男性と再婚したという。佐藤さんの母は中日國交正?;幛巳毡兢藥?、取材の1週間前に亡くなった。99歳だった。佐藤さんは「非常に穏やかな死だった。中國では100歳近くまで生きた老人の死は『喜喪』と呼ばれる」と語る。
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