4月2日、當時「ピンポン外交」縁の地である名古屋市內の愛知県體育館で開かれた中部日本華人卓球協(xié)會主催の「中日米青少年卓球大會」記念式典と決勝戦。「ピンポン外交」45周年記念活動の一環(huán)でもある。
當時第31回世界卓球選手権大會に出場した2人の中國人選手の郗恩庭さんと林美群さん夫婦も會場を訪れていた。郗恩庭さんは引退後、日本やフランス、メキシコといった國で卓球の指導に當たった。日本で暮らす娘と娘婿も日本での全國高等學校卓球選手権大會で入賞した経験をもつ。郗さんは當時の様子について、「卓球は私たち家族と世界をつなぎ合わせた」と述べ、過去の記憶をたどりながら、「莊則棟選手が中國代表チームのバスの扉近くに立っていて、米國のコーエン選手がバスに乗り間違えた際に、莊選手はかばんから西湖の風景が描かれた絹織物をコーエン選手に贈った。當時の政治情勢下では勇気のいることだった。翌日、コーエン選手も中國代表チームにTシャツをお禮に贈った。生涯卓球をやってきたが、一番の達成感は世界一をとったことよりも大國関係の外交活動に関われたことだ」と述べた。2日前に開かれた記念交流會では當時の日本の選手の竹內敏子さんと杉本安子さんと再會し、45年前の大會での技や試合後の談笑を思い起こしながら交流し、「異なる國の人々が末永く友好であってほしい」という共通の思いを分かち合った。
愛知大學現(xiàn)代中國學部の砂山幸雄教授は會場で、「ピンポン外交」の自身への影響を記者に語った。世界卓球選手権名古屋大會開催當時はまだ高校2年生で、テレビで報道を見ていた際に「中國人はこんなに友好的なんだ」と思ったという。大學で最初に専攻したのはドイツ語だったが、「ピンポン外交」によって巻き起こされた「中國語ブーム」の中、中國語も履修した。砂山教授の同級生に當時大會に參加した日本人選手がいたという。こうした縁が重なり、砂山教授は最終的に中國文化を自身の研究の方向性と位置づけた。「『ピンポン外交』は米中國交樹立の始まりであり、日中國交正?;问激蓼辘扦ⅳ??!亥豫螗荪笸饨弧护厦耖gの力で政府を動かした事例であり、今日の外交にも大いに參考になる」と述べた。
昨年5月、愛知県は同體育館正門に『ピンポン外交』記念壁を設置した。記念壁には「愛」「平和」「友好」「夢」と書かれ、白色の小さな球が中日米三國國旗を結んでいる。愛知県の大村秀章知事は、「どんな試合でも、皆まずここを通りこの歴史を知ることができるようになった。こうした方法で『ピンポン外交』の歴史的功績が民間で銘記され、民間友好の伝統(tǒng)が受け継がれていけば」と期待を語った。(編集IM)
「人民網日本語版」2016年4月6日
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