いったいどの國(guó)際法が、國(guó)連と何の関係もないこの団體のいわゆる「仲裁」が法的効力を持つと規(guī)定しているというのか。この政治的な茶番劇は最近収まりつつあるが、日本は、この劇で演じた不體裁な役割を恥じないだけでなく、再び登場(chǎng)してトラブルを起こし、國(guó)際舞臺(tái)で耳障りな雑音を立て始めている。しばらく前にラオス?ビエンチャンで行われた東アジアサミットでは、「ウォールストリート?ジャーナル」のような米國(guó)メディアでさえ、ASEANの溫和な態(tài)度が域外の個(gè)別の國(guó)の態(tài)度と対照を示したと報(bào)じている。ASEAN諸國(guó)は、紛爭(zhēng)を管理するためには実行可能な解決方法を探さなければならないと気付いており、緊張する局面にさらに油を注ごうとは考えていない。日本はちょろちょろと動(dòng)き回っていったい何をしようとしているのか。アジアの安全の局面を牛耳り、アジア諸國(guó)の関係を左右しようというよくない衝動(dòng)にまた駆られているのではないか。
日本は、國(guó)際法の遵守の面で不行跡を重ねてきた國(guó)である。國(guó)際社會(huì)で「規(guī)則」や「法治」をどんな顔をして主張しようというのか。釣魚島問題や歴史認(rèn)識(shí)問題はいずれも、第2次大戦後の國(guó)際秩序の根本にかかわる問題であり、「ポツダム宣言」や「カイロ宣言」などの重要な國(guó)際法律文書で相応の規(guī)定がある。それにもかかわらず、第2次大戦が終わって70年以上となる現(xiàn)在も、日本は依然として、関連問題でトラブルを起こし続けている。さらに日本政府の上層部からは、國(guó)際秩序に公然と挑戦し、國(guó)際法治に背き、「ポツダム宣言」に疑いを挾み、「侵略の定義は定まっていない」と訴え、南京大虐殺と「慰安婦」問題を否定するなどの言論が出て來(lái)る始末である。これが「規(guī)則」と「法治」の意識(shí)の體現(xiàn)だとでも言うのか。
南中國(guó)海問題の歴史的な経緯については、日本は十分に理解しているはずである。日本はかつて第2次大戦中、中國(guó)の南中國(guó)海諸島を侵略?占領(lǐng)した。日本の降伏後、中國(guó)は、「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」などの國(guó)際的な法的文書の規(guī)定に基づいて、南中國(guó)海の諸島を回収した。もしも日本が本當(dāng)に、自らの言うような「規(guī)則」や「法治」の意識(shí)を持っているのだとすれば、その法的論理と歴史的事実をなぜ無(wú)視するのか。稲田防衛(wèi)相が講演で「中國(guó)の脅威」を誇張したのは昔からのやり口にすぎないが、その結(jié)論として提出された「南中國(guó)海への介入」という軍事行動(dòng)計(jì)畫は、地域の安全や安定に新たなリスクをもたらすものとなる。「米國(guó)との合同巡航訓(xùn)練の展開」「地域のその他の國(guó)との軍事演習(xí)開催」「沿岸諸國(guó)による能力建設(shè)強(qiáng)化の支援」という周到に作り上げられた行動(dòng)計(jì)畫は、日本が冷戦の思考に自ら凝り固まっているだけでなく、集団的な対立の扇動(dòng)を企図していることを示している。新たな安全保障法が打ち出されてから、トラブルを起こして軍事的な臺(tái)頭を?qū)g現(xiàn)しようという日本の動(dòng)きはますます明らかとなっている。
「青山遮不住,畢竟東流去」(青山は遮りおおせず、ひっきょう東に流れゆく=歴史の流れは変えることはできない)?,F(xiàn)在のアジア太平洋地域の力関係から見ても、人々の望みから考えても、日本の戦略上の動(dòng)きは自分の能力をわきまえないものである。また機(jī)會(huì)を捉えて大手を振るおうという日本の企図する「集団対立」の局面も幻想に終わるほかない。協(xié)力とウィンウィンを求めるこの時(shí)代、日本の夢(mèng)のようなゲームに加わろうとする國(guó)がどこにあるというのだろうか。日本が盟主の足にしがみついて一心不亂にゲームを続けようとしても、うまくはいかないことは明らかである。(編集MA)
人民網(wǎng)日本語(yǔ)版2016年9月19日
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無(wú)斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn