中國(guó)出身の畫家?曽勤(そうきん)さんは群馬県高崎市に住み、家の庭には、実がなったヤマモモや100種類以上の花が植えられており、生活を存分に楽しんでいる。時(shí)間ができると花の世話をするという曽さんの作品に一番よく登場(chǎng)するのが「花」だ。(文:楊野 季科宇 趙香妹。重慶晨報(bào)掲載)
畫家の娘でも元々は絵がきらい
曽さんの父親は水墨畫を得意とする著名な畫家?曽令富さんで、子供のころから絵の手ほどきを受けてきた。しかし、「子どもの頃は畫家になりたかったわけではない」という曽さん。1987年に大學(xué)入試を受けたものの失敗し、四川美術(shù)學(xué)院の試験対策クラスで學(xué)ぶようになった。
そのクラスで、曽さんは一生懸命基礎(chǔ)から勉強(qiáng)し、最終的に四川美術(shù)學(xué)院に入學(xué)することができた。しかし、専攻したのは絵畫ではなく、アパレルデザインだった。
日本に留學(xué)し日本畫と中國(guó)畫を融合
同學(xué)院2年の時(shí)、曽さんは「退學(xué)して、日本に行って美術(shù)を?qū)Wぶ」という決定をし、周囲を驚かせた。
「當(dāng)時(shí)、美術(shù)デザインの分野で、日本にはたくさんの最先端技術(shù)があると知り、日本に行って見(jiàn)聞を広めたいと思った」と説明する曽さんは1992年1月に群馬県の語(yǔ)學(xué)學(xué)校に入り、2年間日本語(yǔ)を?qū)Wんだ。そして、高崎蕓術(shù)短期大學(xué)に入學(xué)し、デザインを?qū)Wぶようになった。
その過(guò)程で、曽さんは、日本畫の巨匠?片岡球子の弟子である新公子さんに出會(huì)い、日本伝統(tǒng)の巖彩畫を?qū)Wぶ機(jī)會(huì)に恵まれた。曽さんは取材に対して、「巖彩畫は中國(guó)の細(xì)密畫?工筆重彩とよく似ており、その豊かな色彩、東洋と西洋を一體化させた絵畫スタイルに、私は虜になった」と説明した。
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