寫真出典:箭厰動(dòng)畫「南京で生活する日本人」
小柄な黒田さんの眉毛は三日月のような形で、整ったショートカットはグレーの石膏のようだった。その首にはいつも、「國際ボランティアサービス証」がぶら下がっており、小さなバッグにはいつもノートが入っていた。
黒田さんは目が悪く、説明文を見る時(shí)は腰を曲げて、顔をパネルに近付けていた。解説するにも2時(shí)間はかかるものの、そのパネルの説明文を黒田さんは一つ一つ手で寫し、自分の言葉でそれを編集していた。パネルに書かれた日本語のほとんどは中國人が翻訳したもので、黒田さんは、もっと日本人に分かりやすい日本語でそれを記したいとしていた。
大阪から來ていた黒田さんは、同館の近くにあるホテルの一室を借り、普段は日本人の見學(xué)者向けに解説をしていた。
そして、休館日の月曜日になると、黒田さんは、拉貝故居や北極閣被害者同胞記念碑など第二次世界大戦の遺跡を探すために、南京のあちこちに行っていた。黒田さんは中國語が話せないものの、いつも案內(nèi)してくれる中國人に出會(huì)うことができ、ブローチをくれる中國人もいた。
日本に戻ってから、黒田さんが同記念館に寄せた手紙には、「私がしたことは取るに足りないことだが、微力を盡くし、南京への思いを抱いて、日本で聲を上げ、歴史を伝え続けたい」と書かれていた。
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