日本は、非常に保守的であるものの、50年の発展の歴史を経て、ファッションの流行も消えてはまた復(fù)活するという循環(huán)を繰り返してきたため、消費心理も非常に成熟しており、ブランド品やぜいたく品へのあこがれは依然として強(qiáng)いものの、その心理は、一攫千金を成し遂げて欲望を制御できない人とは大きく異なる。數(shù)十年の発展を経験してきた資本主義國の國民である日本人は、ベテラン消費者であり、経験豊富な寶石鑑定士のようだ。
服という目に見える要素は、いつでも社會のルールや人の意識を映し出してくれる。女性からすると、ファッションはその人の生活に対する理解を反映している。例えば、上海の高齢の女性は、たとえ數(shù)十年前の服であったとしても、それをきちっと著こなし、清潔感にあふれている。筆者は日本である高齢者女性の姿、振る舞いに強(qiáng)い印象を受けたことがある。ある時、國學(xué)院大學(xué)に向かう路線バスに乗った時に見かけたその女性は、あっさりしたヘルシーなものを食べて小柄な體格を保っていることが見て取れ、ゆったりとしたロングスカートに同系色の半そでのシャツを合わせ、さわやかな色のスカーフを首に自然に巻いたファッションは本當(dāng)にエレガントだった。その優(yōu)雅で落ち著いた女性を見て、私は、「戦後の荒れた時代と高度成長期、反抗や熱血に満ちた青春時代など、移り変わりの激しい時代を経験し、今は角が取れて落ち著いていたのだろう」と感じた。
國も人も同じで、自身の経験に基づいて自分の世界を形作るものだ。表面的には、同じ高度に成長した現(xiàn)代文明を享受しているように見えるが、それと向き合う心には大きな差がある。誰でも自分でいろんな事を経験してはじめて少しずつ成長したり、女性なら誰でも服をたくさん買って初めて、自分のスタイルを確立していったりするのと同じく、どの國もこのような過程を経なければならない。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2017年2月16日
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