浙江省寧波市奉化區(qū)黃賢村にある饅頭館。
「饅頭」(中國(guó)風(fēng)蒸しパン)は、浙江省寧波市の街頭でよく見かける朝食だが、奈良県奈良市の漢國(guó)神社の境內(nèi)にある林神社が、寧波出身の「饅頭の祖」林浄因が饅頭を日本に伝えた記念に創(chuàng)立されたことを知る人はほとんどいないだろう。毎年林神社では、林浄因の命日である4月19日に「饅頭まつり」が催される。(文:王思勤 楊靜雅 寧波晩報(bào)掲載)。
林浄因は、北宋時(shí)代の詩(shī)人?林逋の7代目の末裔にあたり、浙江省寧波市奉化區(qū)黃賢村で生まれた。取材のため黃賢村を訪れた記者は、林浄因の34代目の末裔にあたる、日本の林氏饅頭「塩瀬総本家」の當(dāng)主?川島英子氏が、自身のルーツについて調(diào)べるためにかつてこの地を訪れたことを知った。
〇 日本の「まんじゅうの元祖」
元の時(shí)代、日本の僧侶?竜山徳見が中國(guó)を訪れ、林浄因と親しく交流した。1350年、竜山禪師が日本に帰國(guó)する際に、林浄因も日本に向かう船に乗った。海のシルクロードを渡り、船は日本に到著した。當(dāng)時(shí)、日本には小麥粉を発酵させる技術(shù)がなく、點(diǎn)心(お菓子)の多くは、堅(jiān)くパサパサした米菓子だった。林浄因は、中國(guó)饅頭の製法を參考に、日本人好みの餡を組み合わせたまんじゅうを作り、表面に「林」の字の焼印を入れて大々的に販売した。
林浄因のまんじゅう製法技術(shù)は後代に引き継がれ、複數(shù)の支店をオープンした。その後、戦爭(zhēng)によるトラブルを避けるため、林氏は苗字を「塩瀬」に改めた。林浄因の子孫の一人は、點(diǎn)心の作り方を?qū)Wぶために中國(guó)の宮廷に赴いた。學(xué)び終えて日本に帰國(guó)すると、東京にまんじゅう店を新しく開き、屋號(hào)を「塩瀬」とした。また、「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を授かった。
林氏塩瀬饅頭は、江戸幕府の歴代將軍から寵愛を受け、長(zhǎng)きにわたり朝廷の「御用菓子」であり続けた。その後、その名がどんどん広まった林家饅頭は、日本人が最も好むお菓子の一つとなった。
林浄因は、結(jié)婚する際に、赤?白2色のまんじゅうを大量に作り、お祝いに訪れた客に送ったという興味深いエピソードが殘っている。今の時(shí)代も、日本には、結(jié)婚や他の慶事の際に、紅白まんじゅうを贈(zèng)るという習(xí)わしが殘っている。
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