その後、バブルが崩壊して、20年以上が過(guò)ぎ、青山を歩いている時(shí)にすれ違う東京の男女は非常におとなしく、居酒屋に行ってお酒を飲んでいたとしても、ほとんどがサラダを食べながら、たしなむ程度だ。クレイジーにダンスを踴る若者や、高級(jí)腕時(shí)計(jì)をしたり、高級(jí)バックを持ったりしている若者はほとんどいない。確かに、「生き生きとした目」は見(jiàn)られなくなってしまった。
こうした現(xiàn)象を、日本メディアは「今の日本の若者は『無(wú)欲時(shí)代』に突入した」と形容している。
今の日本の若者はテレビや新聞を見(jiàn)ることはほとんどなく、時(shí)々、數(shù)百円の文庫(kù)本を買(mǎi)っては、それをずっと読んでいる。物質(zhì)的には非常に豊かであっても、何にも興味を示さない。家の中はできるだけシンプルにし、寢る時(shí)に押し入れから布団を出して敷けるように、普段はできるだけ部屋に物を置きたがらない。そこにテレビはなく、機(jī)もない。さらに、30歳を過(guò)ぎても、戀愛(ài)して結(jié)婚し、子供を産むということにも興味をあまり示さない。
その友人は、「若い記者はちゃんと仕事はする。でも、殘業(yè)はしたがらず、仕事が終わってからも、昔のように先輩とお酒を飲みに行って、取材の経験を聞いたりするということもしない。出世に関しても、ほとんど興味を示さない」と話していた。
「無(wú)欲社會(huì)」がもたらすものは、物が売れないという狀況だ。買(mǎi)うお金がないのではなく、お金を使う意欲がないのだ。このような狀況は、マイホームや車(chē)を買(mǎi)うことにこだわり、起業(yè)するなどして必死にお金を稼ぎ、非常に強(qiáng)い購(gòu)買(mǎi)意欲を見(jiàn)せる中國(guó)の若者とは非常に対照的だ。
日本の社會(huì)は今、非常に靜かでシンプルになっている?!笩o(wú)欲」は、社會(huì)に靜けさと秩序をもたらす一方で、若者は新しいことをしようという意欲に欠け、何かを買(mǎi)ったり、投資したりする意欲にも欠けている。長(zhǎng)い目で見(jiàn)れば、これは理想的な狀況ではないのではないだろうか。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2017年8月2日
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