「約90年前に日本が中國(guó)への侵略戦爭(zhēng)を始め、中國(guó)の人々に極めて大きな災(zāi)難をもたらした。しかし、『怨みに報(bào)ゆるに徳を以ってす』(仕返しせずに許しの心で相手に接する)という考えの中國(guó)人は、中國(guó)に殘った日本人孤児を引き取って育て上げてくれた」、「中國(guó)人は偉大であるとしか言いようがない」、「全ての日本人がこの歴史を知り、これを手本とすべきだ」―――東京から約200キロ離れた長(zhǎng)野県伊那市役所のホールでは1月31日、このような感動(dòng)?敬服?反省の言葉が繰り返しこだました。人民日?qǐng)?bào)が伝えた。
1月29日から2月2日にわたり、「中國(guó)の母親の広く豊かな心――中國(guó)の養(yǎng)父母と日本の孤児」をテーマとする展示會(huì)が同市役所で開(kāi)催された。展示された1枚1枚の寫真、書かれていた1つ1つの言葉が、前世紀(jì)に中日両國(guó)の間で起こった悲慘であり、感動(dòng)的な歴史を詳しく物語(yǔ)っていた。
1930年代初頭、日本は自國(guó)の多數(shù)の農(nóng)民を引き連れ、中國(guó)東北部で経済侵略を進(jìn)め、中國(guó)人の土地と財(cái)産を略?shī)Zしていた。1945年に日本が敗戦?降伏したときに、多くの日本人女性と子供が中國(guó)東北部に置き去りにされた。深い戦爭(zhēng)の傷を負(fù)った中國(guó)人は、さまざまな困難を克服し、數(shù)千人の日本人孤児を引き取り、育て上げた。1972年に中日両國(guó)の國(guó)交が正?;筏郡韦痢⒅袊?guó)政府は、中日友好と人道主義の立場(chǎng)から、日本人孤児の肉親探し及び、日本への帰國(guó)に関する大々的な支援を始めた。この支援により、1980年代から90年代にかけて、多くの日本人孤児が続々と日本への帰國(guó)を果たし、帰國(guó)した日本人孤児たちは中日友好事業(yè)に積極的に関わった。
多くの伊那市民がこの歴史について興味を持ち、會(huì)場(chǎng)を訪れた。70歳を過(guò)ぎた竹入さん(女性)は、展示パネルを1枚1枚つぶさに見(jiàn)た後、「展示を見(jiàn)終わり、中國(guó)人に対する畏敬の念がさらに高まった。豊かで広い心を持つ中國(guó)人に本當(dāng)に感謝している。全ての日本人が、この歴史を知るよう願(yuàn)っている。日本が中國(guó)に侵略したという歴史認(rèn)識(shí)を持てば、この悲劇が再び繰り返されることはないだろう」と感慨深げに語(yǔ)った。
また、伊那市在住の80歳の女性は、展示會(huì)を見(jiàn)ながら涙を流していた。彼女は、むせび泣きながら、「近所に、日本に帰國(guó)した中國(guó)殘留孤児が住んでいる。彼らの境遇に対して、身につまされる思いがする。中國(guó)の人々は、日本の侵略によって日本人孤児よりもさらに悲慘な目に遭ったに違いない。それでも彼らは広大な心で、孤児たちを大きな愛(ài)情でもって養(yǎng)い育ててくれた。彼らは偉大としか言いようがない。日本政府は、よくよく歴史を反省しなければならない」と語(yǔ)った。
展示會(huì)の主催に攜わった団體の一つである伊那日中友好協(xié)會(huì)の小原茂興會(huì)長(zhǎng)は、「今年、日中平和友好條約締結(jié)40周年を迎えた。このような展示を通じてより多くの日本人が、この歴史について知ってほしい。歴史を手本とすることで、初めて日中友好の未來(lái)が開(kāi)けていくことができる」とコメントした。
今回の展示會(huì)で展示された26枚のパネルの內(nèi)容は、黒竜江省ハルビン市にある侵華日軍(中國(guó)侵略日本軍)第七三一部隊(duì)罪証陳列館から直接取り寄せたものだ。同陳列館とハルビン市赤十字會(huì)は2012年8月、「中國(guó)の母親の広く豊かな心――中國(guó)の養(yǎng)父母と日本の孤児」展を共同で開(kāi)催した。2015年12月には、長(zhǎng)野県日中友好協(xié)會(huì)と「満蒙開(kāi)拓」平和記念館が、同展覧會(huì)のパネル2セットの複製を中國(guó)側(cè)に要請(qǐng)し、日本各地で巡回展を開(kāi)催した。
「満蒙開(kāi)拓」平和記念館の寺沢秀文副館長(zhǎng)は、次のとおり語(yǔ)った。
「伊那日中友好協(xié)會(huì)に展示パネルを貸し出し、今回の展示會(huì)が開(kāi)催の運(yùn)びとなったことは、大変喜ばしい。より多くの日本の民間友好関係者や団體が同様の展示會(huì)を開(kāi)催することを望んでいる。実は、私の父親が『満蒙開(kāi)拓団』のメンバーの一人だった。父は、私が幼少の頃から、『お父さんは中國(guó)東北部で現(xiàn)地住民の土地と財(cái)産を奪い取り、中國(guó)の人々に大きな損失をもたらし、傷を負(fù)わせた。ずっと、このことを恥じ、申し訳なく思っている』と話していた。より多くの日本人が、日本による中國(guó)侵略の歴史を理解し、『過(guò)去の経験を忘れることなく將來(lái)の戒めとする』ことを肝に銘じてほしい」。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2018年2月2日
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