福島をPRする動(dòng)畫を撮影する徐さん(畫像は徐さんが提供)。
2011年3月11日、東日本でモーメントマグニチュード(Mw) 9.0の地震が発生し、その影響で巨大な津波が生じた。福島県庁提供の資料によると、2018年5月7日現(xiàn)在までに、地震と津波による福島県における死者は4056人に達(dá)し、うち2227人は、「東日本大震災(zāi)の長(zhǎng)期的避難が原因となる健康の悪化」などが原因で死亡したと認(rèn)定されている。福島県において避難が必要な區(qū)域は11年の1600平方キロから、現(xiàn)在は371平方キロ(県全體の2.7%)と、かなり縮小されてきているものの、現(xiàn)在もまだ4萬(wàn)6000人が各地で避難生活を送っている。故郷に帰ろうとしない福島県出身の人々がいる中、「僕はずっとここで福島県民と一緒にいる」と話す中國(guó)人男性がいる。
自責(zé)の念から福島に殘る決意
11年3月10日、福島県上海事務(wù)所で働いていた徐銓軼さんは、親が上海で働いている日本人の子供數(shù)人を連れて福島に戻った。そして、その子供たちを引き渡した翌日には他の都市へ向かった。JRの電車で靜岡県に著いた時(shí)、地震が発生した。徐さんは取材に対して、「なぜ自分だけ逃げることができたのか?なぜ子供たちと一緒じゃなかったのだろう?」と強(qiáng)い自責(zé)の念を感じているとし、「僕はまるで故意に福島を裏切ったような思いに駆られ、その償いのために、福島の復(fù)舊のためにできる限りのサポートをしている」と話した。
13年4月から5年間、徐さんは、國(guó)際交流員として福島で働いたものの、「當(dāng)時(shí)の給料は割とよくて約28萬(wàn)円ほど。でも、あの頃は中日関係が最も冷え込んでいた時(shí)で、福島で原発事故があったため、あの5年間で僕は1回も中國(guó)からの訪日団を出迎えることが無(wú)く、中日交流にも何の貢獻(xiàn)もできなかった。日本の大卒生よりも高い給料をもらっておきながら、意義ある仕事ができなかったため、申し訳ない思いでいっぱいだった」と振り返る。そこで國(guó)際交流員の任期が満了した後も福島に殘り、今年4月からは地域振興協(xié)力隊(duì)員として働くようになった。
1度は「拒否」されたものの福島を愛し続ける徐さん
上海出身の徐さんは高校卒業(yè)後、京都に留學(xué)し、修士課程を修了した後、相応しい仕事が見つからなかったという。徐さんは、「専門は福祉で、當(dāng)時(shí)は今ほどの需要がなかった。特に、外國(guó)人は就職が難しかった」と話す。がっかりした徐さんは上海に戻り、最初に就職した先が福島県上海事務(wù)所での仕事だった。その時(shí)から、福島が自分に幸運(yùn)をもたらしてくれたとずっと心で感じていた。12年、浙江大學(xué)の學(xué)生を連れて福島の震災(zāi)後の復(fù)興狀況を視察した?!副茈y所の生活はとてもたいへんなのに、被災(zāi)者は笑顔を絶やさず、僕に大きな力をくれた」と徐さん。
國(guó)際交流員に応募した際、希望の場(chǎng)所を3ヶ所書くことができるが、ずっと福島に行きたかった徐さんは、3ヶ所全てに「福島」と書いた。しかし、運(yùn)命のいたずらか、選考から漏れた?!羔幛扦瑜激à郡椁筏绀Δ胜?。もし自分が選考を擔(dān)當(dāng)していたら、甚大な被害を受けたばかりの福島は、地元の人でも自分の家に戻ろうとしないのに、希望の場(chǎng)所に全部福島と書いた中國(guó)人を選ぼうと思わないはずだ」。しかし、その後、福島に行くことになっていた人が取り止めたため、徐さんはその補(bǔ)充人員に選ばれ、國(guó)際交流員として福島に行くことになった。
鉄道ファンでもある徐さんは、留學(xué)生活もまもなく終えようとしていた時(shí)期、たまたまパンフレットで福島県會(huì)津若松市の會(huì)津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅までを結(jié)ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線「只見線」の寫真を見て、「一目惚れ」をしたという?!?1年に福島で原発事故が起きたのは誰(shuí)でも知っている。でも、同年7月の新潟?福島豪雨の影響で只見線の一部が被害を受け、今も不通となっていることはほとんどの外國(guó)人が知らない。福島第一原発から約100キロの位置にある奧會(huì)津の市民にとっては、原発事故よりも、鉄道の不通のほうが生活に関わる大問(wèn)題」と、福島で5年以上生活している徐さんは、福島の人々に対する心配で頭がいっぱいだ。
15年、徐さんは福島県いわき市で妻となる女性に出會(huì)った。今年11月、二人の第二子が福島で生まれる。そんな徐さんは、「僕はとてもラッキーで、僕の家族はみんな僕が福島で働くことを応援してくれている。今また福島に殘る理由が一つ増えた。上海のような大都市と違い、福島には美しい自然の風(fēng)景がたくさんある。ここで、僕の理想の生活を送ることができる」と語(yǔ)る。
世界に福島の魅力をPR
「福島民報(bào)」に掲載された徐さんの活動(dòng)を伝える記事(畫像は徐さんが提供)。
徐さんは現(xiàn)在、福島県三島町に住んでいる。人口約1600人の同町は、高齢化が極めて深刻で、家から一番近いスーパーでも12キロ離れているなど、生活も不便だ。しかし、アジアの歌姫?テレサ?テンも1977年にこの街を訪れ、「特別町民」となっており、「ここは故郷みたい」と語(yǔ)ったという。
地域振興協(xié)力隊(duì)員の主な仕事は福島の魅力を記録し、PRして、一人でも多くの人に旅行に來(lái)てもらったり、定住してもらったりすることだ。長(zhǎng)年日本で暮らしている徐さんは今でも外國(guó)人の観點(diǎn)から、現(xiàn)地の人には分からない魅力を見つけることができるという。
徐さんはよく山に登っては、美しい自然の景色をカメラに収めたり、まだ開発されていない観光資源を探し出したりして、動(dòng)畫を制作し、ネット上に投稿したり、オフラインのPR活動(dòng)を行ったりしている。このように寫真や行動(dòng)を通して、福島の魅力を多くの人に伝えている。給料はわずか16萬(wàn)円と安く、ギリギリの生活であるものの、徐さんは、「こんなにたくさんのことが経験できている。福島にいることできるのは運(yùn)命としか言いようがない。偉大なことは何もできないかもしれないが、これからも福島の人と一緒にいるという約束はできる。必ず福島にもまた幸運(yùn)が舞い降りると信じている」と語(yǔ)る。
福島の観光業(yè)は現(xiàn)在、少しづつ回復(fù)している。日本の観光庁が今年3月に発表した17年の外國(guó)人観光客の宿泊統(tǒng)計(jì)によると、同年、福島県に宿泊した外國(guó)人観光客は9萬(wàn)4000人と、震災(zāi)前を上回る數(shù)字となった。20年の東京五輪では、福島の球場(chǎng)で野球とソフトボールの試合が行われることになっている。また、聖火リレーのスタート地點(diǎn)も福島だ。その時(shí)になれば、もっと多くの人が福島の魅力に気づくことになるだろう。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2018年8月7日
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