日本中國(guó)友好協(xié)會(huì)荒川支部の高月昭支部長(zhǎng)率いる一行が20日、重慶を訪問(wèn)し、重慶爆撃民間対日賠償案原告団に対して、訴訟を支援する立場(chǎng)を表明した。中國(guó)新聞社が報(bào)じた。
第二次世界大戦期間中、中國(guó)を侵略した舊日本軍は、當(dāng)時(shí)の國(guó)民黨政府や南西內(nèi)陸部の人々の抗戦する意志に打撃を與えるため、重慶に対して斷続的に200回以上無(wú)差別爆撃を行い、その戦略爆撃は「重慶爆撃」と呼ばれている。爆撃による直接死傷者は3萬(wàn)2000人、間接死傷者は6600人に達(dá)したとされている。重慶爆撃の被害者や遺族などは2004年に賠償団を結(jié)成し、東京に30回以上足を運(yùn)んで、日本政府を相手に訴訟を起こしてきた。
しかし、15年2月に一審の判決が、17年12月に二審の判決が下されたものの、結(jié)果は原告?zhèn)趣螖≡Vだった。判決は、重慶爆撃があったという歴史的事実は認(rèn)めたものの、原告?zhèn)趣稳毡菊藢潳工胫x罪と賠償請(qǐng)求は棄卻した。現(xiàn)在、原告団は、日本の最高裁判所に上訴し、賠償を求め続けている。
重慶爆撃の被害者遺族?倪世珍さんは、「母は亡くなるまで、日本政府に対して賠償を求め続けるよう私に言い続けていた」と、訪中代表団に母親の遺志を伝え、「母は爆撃で右足を負(fù)傷し、貧しかったため病院にも行くことができず、亡くなるまでその傷が完治することはなかった。足は化膿し、08年に亡くなるまで、膿汁が流れていた。戦爭(zhēng)中に負(fù)った傷が、母に一生付きまとった。中日両國(guó)が歴史の教訓(xùn)を銘記し、戦爭(zhēng)を二度と起こさないようにしてほしい」と訴えた。
高月支部長(zhǎng)は、「重慶爆撃の被害者が経験したことを聞いて、あらためて驚愕させられた。日本は侵略者、加害者で、重慶と中國(guó)全土に多大な損害を與えている。そのため、重慶爆撃の被害者や中國(guó)の國(guó)民に謝罪すべきだ。重慶爆撃と東京大空襲は中國(guó)と日本に同様の苦しみをもたらした。日本政府が歴史を直視することを願(yuàn)っている。國(guó)際法という観點(diǎn)から考えると、重慶爆撃関連の訴訟のこれまでの判決は間違っている。私と日本中國(guó)友好協(xié)會(huì)は中國(guó)の國(guó)民が法廷で徹底的に爭(zhēng)うことを支援する」と語(yǔ)った。
重慶爆撃民間対日賠償案原告団の粟遠(yuǎn)奎団長(zhǎng)は、「重慶爆撃をめぐる一審、二審の判決文の三分の二以上の內(nèi)容が戦爭(zhēng)における加害事実を認(rèn)めるものだった。しかし、最終的な判決は謝罪と賠償を棄卻した。原告団のメンバーはその結(jié)果に不満を抱いている。日本の最高裁判所は原告団の上訴を既に受理しており、今年下半期に三審の判決が出るだろう。もしまだ敗訴すれば、原告団は中國(guó)國(guó)內(nèi)で訴訟を起こす」と述べた。
そして、「賠償は憎しみを抱き続るためではない。賠償の過(guò)程は、侵略の歴史の過(guò)程を知る機(jī)會(huì)となる。賠償を通して、一人でも多くの人がその歴史を理解すると共に、軽率に戦爭(zhēng)を起こしてはならないと、世界の人々に訴えたい。賠償団のメンバーの大半は80代であるものの、命ある限り戦い続ける」とした。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2018年8月21日
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