東京の池袋と新大久保、西葛西は、外國人が多く暮らしており、その雰囲気が他の街とは全く異なる。池袋が「チャイナタウン」と呼ばれていることは多くの中國人が知っている。そして新大久保には、多くの韓國人が住んでいる。しかし、西葛西にはインド人が數(shù)多く住んでいることは、中國ではほとんど知られていない。環(huán)球時報(bào)が報(bào)じた。
東京江戸川區(qū)に屬する西葛西の駅から歩いて10分の場所にある清新町には、約80棟の団地が立ち並び、その住民の約3割がインド人だ。普通の賃貸住宅と異なり、この団地は、敷金や禮金などが必要なく、外國人も入居可能だ。
日本メディアの報(bào)道によると、2017年末の時點(diǎn)で、日本に住むインド人は3萬1000人を超えた。そのうち、西葛西に住んでいるインド人は約2萬人で、その多くがIT関連の技術(shù)者だ。
インド人はなぜ西葛西に住むようになったのかというと、それはある偶然が始まりだった。江戸川區(qū)にはインド人會があり、その會長は1970年代に來日したインド紅茶を販売するインド人男性。彼が當(dāng)初、西葛西に住みついた理由は、東京灣の倉庫街から近く、成田空港に行くのも交通の便が良いからだった。その後、彼の友達(dá)がさらにその友達(dá)を呼びよせてといった具合に、この地に暮らすインド人たちが増えていき、次第にインド人學(xué)校やヒンズー教の神を祭る寺院などもこの地に建てられていったという。
また、2000年に當(dāng)時の森喜朗首相がインドを訪問したことをきっかけに、日本とインドはIT技術(shù)の分野の協(xié)力を推進(jìn)し始めるようになり、日本に來るインド人IT関連技術(shù)者が大幅に増加した。彼ら技術(shù)者にとって、西葛西はIT企業(yè)が集まる大手町まで電車でわずか20分ほどと通勤アクセスに優(yōu)れていたこともある。
さらに東京北部には荒川が流れており、インド人が西葛西の荒川を土手から眺めると、故郷のコルカタを流れる聖なる川?ガンジス川を思い出して、心が落ち著くのだという。當(dāng)然ながら文化的意義からすれば、ガンジス河のほうがずっと神聖で、ずっと奧深いのだが、それでも荒川はそれを思い出させてくれる存在になっているのだという。
団地周辺には、インド人が経営する食材店がたくさんあり、インドから輸入された食品を買いに日本人客もやって來る。江戸川區(qū)には、インド人向けのインターナショナルスクールもあり、子供をそこに入學(xué)させる日本人もいる。他のインターナショナルスクールと比べると、インド人學(xué)校の費(fèi)用は安く、子供はそこで小學(xué)生の時から英語を?qū)Wぶことができるからだ。
「インド人村」で行われるさまざまなイベントは常に日本人の參加も歓迎しており、毎年10月に行われるヒンズー教の祭り「ディワリ」には、多くの日本人も參加する。イベントでは、インド舞踴が披露されたり、インド料理が提供されたりするほか、和太鼓の演奏もしばしば行われるという。
西葛西の「インド人村」は、日本人が比較的安心できる外國人居住地と言える。その理由は、そこに住むインド人の多くがIT関連の仕事に就いており、穏やかなグループであるというだけでなく、インド文化が日本社會にうまく溶け込んでいるからでもある。サリーを著たインド人女性が西葛西を歩いていても、人々に奇妙な視線を向けられることが無いばかりか、むしろ地元の美しい風(fēng)景の一つという目で見られている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2018 年8月27日
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