本を読みたいという気持ちは心に根ざしているもの
しかし、スマホやショート動(dòng)畫(huà)は、よりたくさんの時(shí)間つぶしの方法を提供してくれているものの、落ち著いて読書(shū)できない理由にはならないはずだ。本當(dāng)に読書(shū)が好きな人は、いつでもどこでも、「図書(shū)館」にいるような気持ちで本を読むことができるものだ。
例えば、2018年からリリースされている大ヒットミニドキュメンタリー「地鉄上的読書(shū)人」は、ある図書(shū)編集者?朱利偉さんが、普段利用する地下鉄のなかで本を読む人を?qū)懻妞怯涘hしたことに端を発している。
2018年から今に至るまで、寫(xiě)真1600枚以上を撮影しているという朱さんは、「3年の間に、2回以上見(jiàn)かけた人が數(shù)十人いる。それらの人は、見(jiàn)かけるたびに読んでいる本が変わっていた。自分の世界で自分磨きをしている人が今でもいるのだと感じる」と話す。
そして、「スマホで遊んだり、動(dòng)畫(huà)を見(jiàn)たりしている人もたくさんいるが、電子書(shū)籍を読んだり、単語(yǔ)を覚えたりしている人もいる。なかには饅頭(蒸しパン)や食用油を片手に持ち、もう片方の手で本を持っているという人もいる。食べ物が暮らしにおける必需品であるように、本もまた暮らしの一部」との見(jiàn)方を示す。
さらに、「インターネットの情報(bào)やショート動(dòng)畫(huà)は、表面的な力を與えてくれるかもしれない。一方、本を読みたいという願(yuàn)いは心に根ざしていて、その素晴らしさは少しずつ分かってくるものだ。読書(shū)が好きな人は、どこにいても時(shí)間を取って読む」と話す。
どのようにスマホに時(shí)間を奪われる現(xiàn)狀を打破するか?
朱さんは、「『ゆったり読書(shū)』が話題になり、多くの人の間で話題となっていることを、角度を変えて見(jiàn)ると、いろいろなものが入り亂れた情報(bào)の陰で、『何が問(wèn)題かは分かっているのに、克服の仕方が分からない』という、多くの人の困惑が見(jiàn)え隠れする」と分析する。
テンポの速い現(xiàn)代社會(huì)において、畫(huà)像や動(dòng)畫(huà)がダイレクトなビジュアル的、聴覚的刺激を與えてくれる。一方で「ゆったりとしたリズム」の読書(shū)が、大して役には立たないが捨てるには惜しいものになっている。「読書(shū)の意義って一體何なのだろう?」という疑問(wèn)が、一瞬頭をよぎったことがあるという人も多いだろう。
最近、中國(guó)のネット上で、「涙なしには読めない」と話題になった黃國(guó)平さんの論文の「謝辭」には、「勉強(qiáng)を続けて、山から出て、この一生を無(wú)駄にはしない」という言葉がその答えであるはずだ。
北京の繁華街?西単にある人気書(shū)店「鐘書(shū)閣」で読書(shū)する人(撮影?田雨昊)。
また學(xué)者の周?chē)?guó)平氏が言及しているように、若者たちには、著名人の名言を斷片的に見(jiàn)るのではなく、お?dú)荬巳毪辘伪兢?冊(cè)1冊(cè)、系統(tǒng)的に読んでほしい。
今の若者は、しっかりとした基礎(chǔ)を築くことが特に大切だ?;A(chǔ)がないなら、インターネットから悪い影響を受けてしまう。一方、基礎(chǔ)がしっかりしていれば、インターネットは良いアイテムとなるだろう。
あるネットユーザーは、「読書(shū)は、世界に目を向ける一番良いチャンネルで、困惑した気持ちを解消する一番良い方法でもある。読む本が多くなればなるほど、自分がどんな人になりたいのか、どんな人生を送りたいのかもますますはっきりしてくる」とまとめている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2021年4月26日