フフシル國(guó)家級(jí)自然保護(hù)區(qū)で撮影されたチルー(撮影?湯徳宏/人民図片)。
龍周才加さんは、そのまん丸の童顔に明るい笑みを弾けさせて笑う。そんな風(fēng)に笑う楽観的な彼ですら、「山の無(wú)人地帯に初めてパトロールに行った時(shí)は、涙がこぼれた」という。初めて可可西里(フフシル)に來(lái)た時(shí)のことを話しながら、龍周才加さんは恥ずかしそうに笑った。
龍周才加さんは青海省玉樹(shù)蔵(チベット)族自治州の牧畜民の家に生まれ、小さい頃から草原で日々鍛えられ、心身ともにたくましく育った。2006年、彼はフフシルの管理保護(hù)スタッフに応募して採(cǎi)用され、この地にやって來(lái)た。
初めて広大な無(wú)人地帯に足を踏み入れた時(shí)、龍周才加さんはこの土地の厳しさを思い知った。4萬(wàn)5千平方キロメートルの広大な原野には、舗裝された道路はまったくなかった。夏になると果てしない沼地が広がり、パトロールのルートはひどくぬかるみ、少しでも気を緩めると、車が泥にはまって身動(dòng)きがとれなくなってしまう。平均標(biāo)高が4600メートルを超える無(wú)人地帯では、救助を行うたびに體力を極めて消耗する。夜になると、テントの外にヒグマが出沒(méi)することもあり、龍周才加さんと隊(duì)員らは懐中電燈を振り回しながら、鍋や碗などの炊事道具をヒグマが逃げるまで叩き続ける。
青海省玉樹(shù)チベット族自治州フフシル國(guó)家級(jí)自然保護(hù)區(qū)のチベットノロバ(撮影?李堅(jiān)強(qiáng)/人民図片)。
冬のフフシルでのパトロールは、気溫が摂氏零下40度以下まで下がる。無(wú)人地帯の酸素含有量は海水面の4割しかない。夜になると、テントの中は氷室のような寒さになり、雪で濡れたズボンが凍りつき、脫いで地面に放り投げるとそのまま「立つ」ほどだ。フフシルの過(guò)酷な環(huán)境に身を置いてみると、その厳しさは想像をはるかに超えていた。
しかし、龍周才加さんがそうしたつらさに涙を流すことはなかった。涙を流したのはこんな時(shí)だ?!笗冮gは仲間と山をパトロールし、夜になって目を閉じると、あとは長(zhǎng)い夜が待っているだけ……」。テントを出て、果てしなく広がる暗闇を見(jiàn)つめていると、突然こらえきれずに涙があふれた?!袱ⅳ螘r(shí)はすごく家が戀しかった」と龍周才加さんは振り返る。
そんな龍周才加さんが満足に感じているのは、「フフシルに來(lái)たら、それは野生動(dòng)物の楽園に來(lái)たということ」ということだ。チルーやチベットノロバ、チベットガゼル、野生のヤクが至る所に見(jiàn)られ、「そうした希少な高原の動(dòng)物たちが元?dú)荬笋lけ回っているのを見(jiàn)ると、どんなに苦しくてつらくてもそれだけの価値はある」と龍周才加さんは語(yǔ)る。
青海フフシル濕地(撮影?韓加君/人民図片)。
龍周才加さんはフフシルで16年働き続けており、毎年延べ10回以上パトロールに參加している。龍周才加さんたちの存在は、密猟者らにとって最大の脅威となっている。2006年から現(xiàn)在に至るまで、フフシルの無(wú)人地帯で密猟者の銃聲が聞かれることはなくなり、チルーの數(shù)は7萬(wàn)頭以上まで回復(fù)した。
毎年5月から8月にかけて、多くのチルーが出産のため卓乃湖畔に移動(dòng)し、集まってくる。ここには保護(hù)ステーションが建設(shè)され、無(wú)人地帯で唯一の人が利用する建物となっており、この期間には龍周才加さんと同僚たちもここに駐在する。車で湖畔をパトロールし、出産を控えた雌のチルーの群れを見(jiàn)かけるたびに、群れの數(shù)や出現(xiàn)場(chǎng)所、行動(dòng)の軌跡などを作業(yè)日誌に記録していく。
2019年、龍周才加さんは「中國(guó)青年五四奨章」を授與された。若きフフシルの守り人の優(yōu)秀な代表として、龍周才加さんは索南達(dá)傑保護(hù)ステーションの副所長(zhǎng)を務(wù)めるようになり、隊(duì)を率いて山をパトロールしながら、索南達(dá)傑保護(hù)ステーションの日常管理業(yè)務(wù)に當(dāng)たっている。
仕事中の龍周才加さん(提供?中國(guó)共産主義青年団青海省委員會(huì))。
現(xiàn)在では、索南達(dá)傑保護(hù)ステーションの北側(cè)にフフシル保護(hù)歴史沿革?自然資源展覧館が建設(shè)され、青蔵(チベット)公路上を通行する人々や観光客が見(jiàn)學(xué)できるようになった。旅行シーズンには、龍周才加さんもしばしば「解説員」となる。フフシルをすっかり知り盡くした龍周才加さんが話すエピソードは、どれも彼自身が実際に経験したことだ。
チルーが移動(dòng)する季節(jié)になると、群れがしばしば青蔵公路を橫切る。そんな時(shí)、龍周才加さんと隊(duì)員らは「交通警察」にもなり、群れが安全に通行できるようにする?!傅缆飞悉摔い肴恕─庾苑证檫M(jìn)んで車を止めて道を譲る。人と自然の共存という理念が浸透している」と龍周才加さんは言う。
索南達(dá)傑保護(hù)ステーションには野生動(dòng)物救助センターも設(shè)置されており、群れからはぐれたり病気になったりした野生動(dòng)物を?qū)熼Tに救助し、後で野生に返している。そして、出産の季節(jié)になると、龍周才加さんと保護(hù)スタッフは救助したチルーの赤ちゃんの「父親代わり」となり、チルーたちがすくすくと成長(zhǎng)するよう世話をする。
フフシルでの生活で龍周才加さんの意志は鍛えられ、よりしっかりと、落ち著きをもって人生に向き合うことができるようになった。そして龍周才加さんのようにこの地に根差して力を捧げる若者がいるからこそ、フフシルの生態(tài)保護(hù)事業(yè)は絶えず素晴らしい成果をあげることができるのだ。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2022年6月16日