6月12日、南京伝媒學(xué)院キャンパスで、卒業(yè)集合寫真を撮影するため、ひな壇の裏を足早に通り過(guò)ぎる2人の女子大生。卒業(yè)シーズンを迎え、「00後」(2000年以降生まれ)としては第一陣となる大學(xué)生が「象牙の塔」に別れを告げている。
3月29日、廊下でダンスの授業(yè)を受ける舞蹈學(xué)科の學(xué)生。新型コロナウイルス対策のため、ほとんどの授業(yè)がオンラインに切り替えられ、舞蹈學(xué)科にとっては困難な時(shí)期となった。
4月4日、ライトが燈された南京伝媒學(xué)院の運(yùn)動(dòng)場(chǎng)に設(shè)置されたPCR検査場(chǎng)で案內(nèi)役を務(wù)める學(xué)生ボランティア。
6月1日、學(xué)校の運(yùn)動(dòng)場(chǎng)でハムスターを散歩させる女子大生。
4月5日、新型コロナウイルス感染癥の影響で、校內(nèi)の商業(yè)広場(chǎng)內(nèi)に設(shè)けられていたジムから屋外に移されたエアロバイク。
4月7日午後、アニメーション學(xué)部の學(xué)生が野外スケッチを一旦止めてPCR検査に行ったすきに、木陰にやって來(lái)た2羽のコクチョウ。
4月28日、撮影室で來(lái)年の卒業(yè)シーズンに學(xué)校に戻れなくなった時(shí)に備えて、早めに卒業(yè)寫真を撮影する3年の女子大生。
5月27日、広播電視學(xué)院が主催した映像フェスティバルの授賞式で、「素?cái)长氏膜我埂工驕簡(jiǎn)摔工肱哟笊?/p>
プレスカメラマンの経験を18年積んだ筆者は今年の春節(jié)(舊正月、今年は2月1日)明けから、スーツケースを引いて江蘇省南京市に向かい、南京伝媒學(xué)院の教壇に立つことになった。南京からそれほど遠(yuǎn)くない上海市では、3月から新型コロナウイルス感染拡大が日に日に深刻になり、蘇州や無(wú)錫といった周辺都市にも拡散。南京でも散発的に感染者が確認(rèn)された。そのため、大學(xué)に入る教員に対する規(guī)制も厳しくなり、初めは1週間に1度の屆出でよかったものの、大學(xué)に入る1日前に屆出しなければならなくなった。そして、最終的には、校內(nèi)に住んでいる教員は學(xué)校から出ることができなくなり、外に住んでいる教員は學(xué)校に入ることができなくなった。オンライン授業(yè)の期日は何度も延長(zhǎng)され、結(jié)局対面授業(yè)が再開(kāi)されたのはメーデー(5月1日)に合わせた5連休明けだった。中國(guó)青年網(wǎng)が報(bào)じた。
校內(nèi)で生活している學(xué)生は學(xué)校から出ることができなくなったため、學(xué)生たちは、毎晩運(yùn)動(dòng)場(chǎng)に集まってダンスを踴ったり、みんなで大聲で歌を歌ったり、屋上でパルクールを楽しんだりするようになった。そして、夜になると、懐中電燈を持って學(xué)校の周りの壁近くを一晩中パトロールする人の姿もあった。
このような特殊な時(shí)期に、キャンパスは「避難所」のようになり、筆者はもう忘れかけていた「象牙の塔」にまた戻って來(lái)た気分になった。學(xué)校の周りの壁が、私たちをウイルスから守ってくれ、私たちにとっては外の欲望や誘惑から離れる時(shí)間ともなったのだ。ここには青春真っ只中の學(xué)生がおり、學(xué)生たちはちょっとしたことで楽しい気分になることができ、未熟ながらもとてもピュアだ。學(xué)生たちは輝く目で、遙か遠(yuǎn)くにある夢(mèng)を見(jiàn)ている。
卒業(yè)シーズンである6月になると、學(xué)生たちはマニュアルに従い、自由に學(xué)校を出入りすることができるようになった。學(xué)生たちはグループになって気晴らしに出掛けるようになり、學(xué)校に戻って來(lái)ることはできないとあきらめかけていた卒業(yè)生たちも馴染み深いキャンパスに戻って來(lái)た。そして、アカデミックドレスを著て運(yùn)動(dòng)場(chǎng)に繰り出し、記念寫真を撮影したり、タッセルを空に向かって投げたり、スポットライトの下でタッセルを右から左に回す儀式に參加したりしていた。卒業(yè)するのは「00後(2000年生以降まれ)」としては第一陣となる大學(xué)生で、4年のキャンパスライフのうち2年半は新型コロナウイルス感染癥の影響を受けたものの、その「エピローグ」で、これまでの心殘りが少し埋め合わされたかのようだ。
卒業(yè)集合寫真の撮影は最後の日まで続き、全ての行事が終わった後も、広場(chǎng)に設(shè)置されたひな壇には別れを惜しむ卒業(yè)生たちがあちこちで座っている姿が見(jiàn)られた。その日の夕日はいつもよりもとてもゆっくり沈んでいくように感じられ、卒業(yè)生たちの顔が真っ赤な夕日に照らされ輝いていた。そしてまるで時(shí)間が止まってしまったかのような錯(cuò)覚に陥る中、まるで油絵のようにドラマチックに赤く染まった空を時(shí)々カッコウが飛んでいた。
そして、月が空に上がる頃には、卒業(yè)生たちはすでに「未知の世界」へと旅立っていった。留學(xué)する人もいれば、公務(wù)員試験を受ける予定の人もいる。ある卒業(yè)生は就職説明會(huì)に何度も足を運(yùn)んだと言っていた。今年、中國(guó)の新卒生は初めて1000萬(wàn)人の大臺(tái)を突破し、1076萬(wàn)人に達(dá)した。昨年より167萬(wàn)人多く、規(guī)模も増加數(shù)も過(guò)去最高となった。それに呼応するように、今年は大學(xué)院受験生も462萬(wàn)以上に達(dá)している。
初めて教壇に立った私の最初の學(xué)期が幕を閉じた。新學(xué)期には、またキャンパスに戻って來(lái)て、この「浄土」を記録し、守り、成長(zhǎng)する若者をサポートし、見(jiàn)守ることができるだろう(撮影?文?郭現(xiàn)中)。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2022年7月8日