山の手入れをする李振海さん(撮影?蔣希武)。
李振海さん(80)は1月22日、植樹(shù)するために山奧で暮らすようになって39回目の春節(jié)(舊正月)を迎えた。山小屋は、李さんが春節(jié)前に山を下りて購(gòu)入した春聯(lián)(春節(jié)に家の玄関などに貼る縁起の良い対句が書(shū)かれた赤い紙)や赤ちょうちんで飾られていた。中國(guó)新聞網(wǎng)が報(bào)じた。
李さんと一緒に春節(jié)の「一家団欒」を楽しんだのは、80近い妻のほか、李さんが植えた100萬(wàn)本以上のヨーロッパアカマツやカラマツ、ポプラ、クモスギ、ハシバミ、そして各種の果樹(shù)だった。
李さんは、內(nèi)蒙古(內(nèi)モンゴル)自治區(qū)呼倫貝爾(フルンボイル)市莫力達(dá)瓦(モリンダワ)?達(dá)斡爾(ダウール)族自治旗塔溫敖寶(ターウン?オボ)鎮(zhèn)塔溫敖寶村の農(nóng)民で、39年前に鍬を置いて、山奧へ入って切り拓き、植樹(shù)するようになった。そして、山には少しずつ緑の木々が茂る森ができた。
春節(jié)期間中、李さんは大晦日に當(dāng)たる21日に家で餃子を食べたほかは、ずっと133ヘクタール以上の森の中で作業(yè)をしていた。
「約6.66ヘクタール以上の手入れが終わった。1萬(wàn)本以上の木の剪定をした」と話(huà)す李さんは、高齢であるものの、木々と「一緒に過(guò)ごして」いると、エネルギーに満ち溢れるようで、「今のうちに手入れを済ませておかないと、春の植林が遅れてしまう」と話(huà)す。
山東省から引っ越してきた李さんは若い頃、広大な土地を耕すことで名を知られた農(nóng)家だった?!富膜斓丐蚋筏?、田畑にしていたあの頃、大雨が降るとしょっちゅう水浸しになり、土が流れ出してしまい、砂がどんどん増えていた」という。
そこで、李さんは1984年、自分の貯金を全て砂漠化と土壌侵食の対策である「三北」防護(hù)林プロジェクトにつぎ込むことにした。そして、「生きている限り、植樹(shù)を続ける」というのが、李さんの夢(mèng)となった。
李さんは、「第一陣の木の苗を山に運(yùn)ぶのには四苦八苦し、3日もかかった。土を一生懸命掘り、手はパンパンに張れた」と、額の汗をぬぐいながら笑顔で話(huà)す。
斧を振り、木の剪定作業(yè)をする李振海さん(撮影?蔣希武)。
始めは技術(shù)も経験もなかったため、樹(shù)木の活著率は20%未満だったものの、今では造林のエキスパートになった李さん。広大な山には今、樹(shù)木が青々と茂っている。
地元の林業(yè)當(dāng)局は、李さんが造林したことによる経済効果は1億元(1元は約19.5円)以上、生態(tài)系サービスの経済価値は3億元以上と試算している。
李さんがこれまでに植樹(shù)や造林に費(fèi)やした資金は200萬(wàn)元以上に達(dá)し、社會(huì)各界や造林事業(yè)に攜わる農(nóng)牧民に400萬(wàn)元以上に相當(dāng)する木の苗約1萬(wàn)本を無(wú)償で提供してきた。
春や秋に造林に攜わり、冬や夏は山の手入れをするという生活を約40年続けている李さんは、自分の子供のように木々を大切にしている。今年の計(jì)畫(huà)について、李さんは、迷うことなく「植樹(shù)を続けること」と答え、「今年の春と秋には、2000本の木を植える予定」とした。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2023年2月6日