3日は極東國(guó)際軍事法廷で日本の主要な戦犯の裁判が開(kāi)廷した68周年の記念日だ。同日、かつて「東京裁判」に參加した中國(guó)の裁判官、梅汝璈の妹や子女といった家族が梅汝璈の舊居に集まり、梅汝璈を偲んだ。中國(guó)新聞社が伝えた。
梅汝璈舊居は江西省南昌市青雲(yún)譜區(qū)梅村にあり、中華民國(guó)元年(1912年)に建設(shè)された。様々な原因から舊居は深刻な被害を受け、ほぼ倒壊していたが、現(xiàn)地政府が修復(fù)して愛(ài)國(guó)主義教育基地として一般開(kāi)放した。
1946年5月、中國(guó)、米國(guó)、英國(guó)、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド、インド、フィリピンの11カ國(guó)で結(jié)成される極東軍事法廷は日本のA級(jí)戦犯28人に対する裁判を行った。梅汝璈は同法廷の中國(guó)代表裁判官を擔(dān)當(dāng)し、第2次世界大戦後の東京裁判に參加し、東條英機(jī)ら日本の主要な戦犯7人が絞首刑の判決を受けた。
同日、梅汝璈の妹、梅蘊(yùn)珍さん、梅汝璈の娘、梅小侃さん、梅汝璈さんの子ども梅小璈さんらが舊居を訪れた。舊居には梅汝璈の石像があり、東京裁判の法衣を著た梅汝璈は右手に書(shū)を持ち、直立し、目を前に向けている。
父親を記念するため、梅汝璈の子女である梅小侃さん、梅小璈さんは近年來(lái)、梅汝璈が殘したノートや書(shū)籍などを整理?出版しており、特に父親が完成できなかった、東京裁判の史料整理を行っている。梅小侃さんと梅小璈さんは現(xiàn)場(chǎng)で、2人の編著である「梅汝璈の東京裁判文書(shū)」を舊居の管理者に寄贈(zèng)した。梅小侃さんは「これらの史料は當(dāng)時(shí)の歴史を?qū)g証するもので、全世界の人々に事実を知らせるものだ」と語(yǔ)っている。
舊居の東京裁判史料ホールでは、多くの人が壁に貼られた梅汝璈の名言を聲に出していた?!杆饯蠌?fù)讐主義者ではなく、日本軍國(guó)主義の殘した血の債務(wù)を日本國(guó)民に刻むつもりはない。しかし、過(guò)去の苦難を忘れることは未來(lái)の災(zāi)厄を招くことだと信じている」。
梅小璈さんは「父親は私たちに抗日戦爭(zhēng)(日中戦爭(zhēng))の歴史を銘記し、日本軍國(guó)主義の復(fù)活を警戒すべきだと教えている」と語(yǔ)る。
梅小璈さんは、日本の政界に靖國(guó)神社參拝の行為が頻発していることは、東京裁判否定の結(jié)果であり、世界の平和に対する危険なシグナルだと語(yǔ)る?!笘|京裁判は戦爭(zhēng)発動(dòng)の責(zé)任者に対する責(zé)任追及で、國(guó)際社會(huì)における初めての試みである。裁判の過(guò)程と最終的な結(jié)論は、いずれも歴史の検証に耐えうるものだ」。
梅汝璈は江西省南昌出身で、1924年に清華學(xué)校(清華大學(xué)の前身)を卒業(yè)し、米國(guó)へ留學(xué)。スタンフォード大學(xué)とシカゴ大學(xué)法學(xué)院で法學(xué)を?qū)Wび、24歳で法學(xué)博士學(xué)位を取得した。1946年、中國(guó)を代表して「東京裁判」に參加。1973年、北京で逝去した。享年68歳だった。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年5月4日
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