山辺悠喜子さんは1928年、日本で生まれ、1941年に母親と共に中國に來て、遼寧省本溪鋼鉄公司で働く父親と共に暮らした。日本の敗戦と降伏後、山辺さん一家は訳あって帰國できなかった。同年12月、山辺さんは募集に応じて東北民主聯(lián)軍の看護士となり、その後解放軍が本溪から南下して広州へ行くのに伴い、解放戦爭の全プロセスを體験した。1953年に日本へ帰國した。
1980年代初め、山辺さんは偶然、関東軍731部隊の歴史について聞き、ショックを受け、この歴史の研究を始め、また「731部隊罪狀展実行委員會」を設立し、日本で731部隊の罪狀に関する展示を數(shù)十回行った。その後、同委員會は日本ABC企畫委員會と改稱し、山辺さんは副代表に就任。731部隊の罪狀遺跡の開発と保護のために多くの活動を行った。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年4月29日