バイオリニストの盛中國とピアニストの瀬田裕子夫妻 |
「私の音楽を通じてより多くの日本人に中國を理解させ、またより多くの中國人に日本に対する好感を持ってもらいたい」とピアニストの瀬田裕子さんは語る。中國新聞網(wǎng)が伝えた。
8月29日夜に天津大劇院音楽ホールの観客は、日本から來た女性音楽家に拍手喝采を送った。ホールでは絵の中の女性のような美しい靜けさを持つ瀬田裕子さんが、中國の曲「黃河頌」を演奏したところだ。
瀬田裕子さんは日本の有名なピアニストだ。東京生まれの彼女の父親は日本の有名な內(nèi)科醫(yī)であると同時(shí)に、大きな規(guī)模の社會(huì)保険中央総合病院の院長で、母親は茶道をたしなむ女性だった。この蕓術(shù)的なムード溢れる家庭で、中國の古典文化の薫陶も受けた彼女は、子供の頃から中國の魅力に引き付けられていた。
1987年、大學(xué)を卒業(yè)したばかりの瀬田裕子さんは推薦され、中國の有名なバイオリニスト盛中國氏の日本公演の伴奏をつとめることになった。伴奏のピアニストはこれ以降、よく各國の公演に共に出かけるようになり、大きな話題を呼んだ。1994年、この國境のない音楽の世界で愛情を見つけた音楽家たちは結(jié)婚した。
「私は幸運(yùn)にも中國に嫁いで、中國人の妻となって、すでに20年が経った」。天津での公演の夜、瀬田裕子さんは流暢ではないが正確な中國語で観客に心情を語った?!付啶稳摔瑜?、中國にいて寂しくないかとたずねてくるが、中國に多くの親戚や友人がいるから楽しいと答えている」。
演奏する曲目で瀬田裕子さんは多くの中國の特色ある曲を選んでいる。特に「黃河頌」を演奏した後は、感激した様子で「この曲を弾くたびに心が揺さぶられる。黃河は中國人の『母なる川』だからだ。私たち日本人にとっては『子の母の川』と言うことができる。中國文化は日本文化の『父親』だからだ」と語った。彼女の言葉が終わらぬうちに、中國の観客は大きな拍手を送った。
最後の演奏で、多くの人が待ち望んでいたバイオリン協(xié)奏曲「梁祝」が瀬田裕子さんのピアノ伴奏の下で流れ出した。美しい音楽は繰り返される日中両國の関係を表すかのように時(shí)にゆっくり、時(shí)に悲しげに響いた。瀬田裕子さんは完全に曲の境地に沒頭し、演奏時(shí)に時(shí)折夫の盛中國氏に気持ちのこもった優(yōu)しく幸せそうな眼差しを向けた。曲が終わると盛中國氏は妻と共に割れんばかりの喝采に対して優(yōu)雅で高貴な態(tài)度でお辭儀をして答えた。
「心の奧底から中日両國の國民が友好的で平和に交流することを望みます」と瀬田裕子さんは最後に語った。(編集YH)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年9月2日
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