成都市文物考古研究所はこのほど正科甲巷の成都市第一人民病院跡地で発掘作業(yè)を行い、唐?宋の時(shí)代の成都の街の遺跡を発見(jiàn)した。これには保存狀態(tài)の良好な唐朝末期の排水路が含まれる。作業(yè)員によると、今回の発掘作業(yè)で家屋、排水溝、道路、玉器、貨幣などの重要な生活用品が発見(jiàn)された。これは唐?宋の成都の都市構(gòu)造および社會(huì)?生活の研究にとって、重要な參考的価値を持つ。四川在線が伝えた。
同研究所は今年6月、基礎(chǔ)の建設(shè)を開(kāi)始しようとしていた第一病院跡地で、定例の発掘作業(yè)を行った。作業(yè)員は面積約800平方メートルの現(xiàn)場(chǎng)で、北宋?南宋時(shí)代および唐朝末期?五代十國(guó)時(shí)代の堆積層から重要な遺跡を発見(jiàn)した。鼠色の汚泥の中からは、長(zhǎng)さ約19.2メートル、幅1.64メートルの排水路が発見(jiàn)された。この排水路は現(xiàn)場(chǎng)のすべての遺跡のうち保存狀態(tài)が最も良好で、建築規(guī)模が最大だった。排水路のレンガ壁には、修築の際にその他の溝とつながる複數(shù)の排水口が作られていた。作業(yè)員を率いる易立氏は、「これは當(dāng)時(shí)の都市部地下廃水システムの幹線水路だ。層の位置と出土品を見(jiàn)ると、この排水路は唐朝末期?五代十國(guó)時(shí)代に建築され、最終的に南宋末期もしくは元の初期に使用されなくなったと考えられる。排水路の両側(cè)には、レンガを敷いた街道、排水口、街並の構(gòu)造が見(jiàn)て取れる」と説明した。
同研究院の王毅院長(zhǎng)は、「これらの都市部の下水道(排水路)、街道、家屋などの科學(xué)的な計(jì)畫(huà)と合理的な配置から、成都が唐?宋の時(shí)代にすでに発達(dá)した都市計(jì)畫(huà)と管理を行っていたことが分かる」と述べた。
作業(yè)員は今回の発掘調(diào)査で、多くの生活用品と器具を発見(jiàn)した。これらの食器はキョ窯、琉璃厰、磁峰窯、竜泉窯などの異なる産地を持ち、他にも玉器や貨幣が見(jiàn)つかった。王院長(zhǎng)は、「成都江南館街唐宋街道遺跡が発見(jiàn)されてから、調(diào)査隊(duì)は古文書(shū)の記録と発掘調(diào)査の成果に基づき、この遺跡が商業(yè)區(qū)であったことを確認(rèn)した。紅星路広場(chǎng)の辺りが、1000年以上前は商人の集まる繁華街であったことが分かる」と指摘した。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年11月21日
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