11日午後8時(shí)9分、日本で暮らす中國(guó)殘留孤児ら54人からなる訪問(wèn)団が、黒竜江省哈爾濱(ハルビン)西客駅に到著した。訪問(wèn)団は、彼らを育てた「中國(guó)の養(yǎng)父母」を訪問(wèn)し、感謝の気持ちを示したほか、「歴史を忘れず、平和を大切にしたい」という思いを伝えた。中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。
70年前、世界反ファシズム戦爭(zhēng)および中國(guó)人民抗日戦爭(zhēng)が勝利したのに伴い、中國(guó)に殘された多くの日本人児童が中國(guó)人の養(yǎng)父母に引き取られた。これらの殘留孤児にとっては、中國(guó)と日本の両國(guó)が故郷となった。そして戦後70周年の今年、「中國(guó)帰國(guó)者?日中友好の會(huì)」、「殘留孤児養(yǎng)父母聯(lián)誼會(huì)」という両國(guó)の民間団體により、今回の訪問(wèn)活動(dòng)が実現(xiàn)した。訪問(wèn)団は12日にハルビンで養(yǎng)父母との親睦會(huì)を行ったほか、13日には中國(guó)人養(yǎng)父母の公墓への獻(xiàn)花が予定されている。
12日夜、中國(guó)側(cè)の代表は花束と中日の2ヶ國(guó)語(yǔ)で書(shū)かれたプレートを手に、ハルビン西客駅で訪問(wèn)団の到著を待っていた。8時(shí)9分、駅に到著した訪問(wèn)団の面々は、花束を受け取ると、中國(guó)の「家族たち」と抱擁し、日本語(yǔ)で「お會(huì)いできてうれしいです」とうれしそうに語(yǔ)った。
73歳の殘留孤児、中村恵子(姜恩光)さんは「中國(guó)に戻ることができた。中國(guó)のお母さんがいなければ、私の今日はない。當(dāng)時(shí)、私と弟は中國(guó)人の養(yǎng)父母に引き取られた。彼らは自分の食べ物を切り詰めて、私たちに一番良いものを食べさせてくれた。今回中國(guó)に來(lái)たのは、養(yǎng)父母への感謝を示すため。今回は、『中國(guó)のお母さん』という舞踏劇を披露するため、練習(xí)に勵(lì)んできた」と語(yǔ)った。
今回中國(guó)を訪問(wèn)したのは、中村さんを含む元?dú)埩艄聝工瑜婴饯闻渑颊?、子供?0人以上。彼らは2泊3日の予定で黒竜江省を訪問(wèn)する。12日の親睦會(huì)には、中國(guó)人養(yǎng)父母7人、今も中國(guó)で生活する殘留孤児9人らも參加。訪問(wèn)団は、日中両國(guó)の故郷を歌った中國(guó)語(yǔ)の歌などを披露した。
殘留孤児養(yǎng)父母聯(lián)誼會(huì)の胡暁慧名義會(huì)長(zhǎng)は取材に対し、「今年は抗日戦爭(zhēng)勝利70周年にあたる。中日両國(guó)の民間団體は今回の活動(dòng)を通じて友好交流を深め、平和の大切さを訴え、歴史を心に刻むよう呼びかけた。殘留孤児らはすでに70歳を越え、中國(guó)人養(yǎng)父母は90歳を越えている。この貴重な機(jī)會(huì)を通じて、後の世代の友情を促進(jìn)したい」と語(yǔ)った。(編集SN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年7月13日
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