中國語での「手紙」は「トイレットペーパー」という意味だ。だから日本語の初級者のクラスでこの言葉が出てくると、學生はどっと笑う。海を隔てたあちらとこちらで同じ言葉がこれだけ違う意味で使われているのはなぜなのだろう。日本語の「手紙」は、中國人にとっての語感とはまるでかけ離れた上品な言葉である。(文:飄飄徐?上海。揚子晩報掲載)
日本で文具店に入ると、封筒や便箋のコーナーから離れられなくなる。洋式のもの、和風のもの、橫長のもの、縦書きのもの、エレガントなもの、キャラクターものなど、さまざまな商品が目に飛び込んでくる。とりわけ季節(jié)感のある商品は魅力的である。手紙や日記はもともと優(yōu)雅な習慣だった。周作人もその文章の中で、他人の書いた日記や書簡ほどおもしろいものはないと繰り返し書いている。書簡體は文學の中でも最も味わい深いジャンルの一つだ。だが今の時代、あってもなくてもいいような手紙という形式にこだわりを持ち続けている人がどれほどいるのだろうか。
だが日本にしばらく住んでいると、日常生活の中での手紙のやり取りが依然として多いことに気付く。このような封筒や便箋の売れ行きは日本ではいまだに好調だ。手紙には、電話やメールでは伝わらないものを伝えることができる。日本人は普通、一年のうち少なくとも2回は手紙を用いる習慣がある。1回は夏、もう1回は冬である。
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