陝西省西安市で育った私が初めて京都に行ったのは、確か留學(xué)に來たばかりの時(shí)だった。地元のタクシー運(yùn)転手に私が西安出身であることを告げると、意外なことに、運(yùn)転手はすぐさま私に向かって丁寧にお辭儀をし、私のことを「大先輩」と呼んだ。(文:徐航明。瞭望東方週刊掲載)
私は運(yùn)転手が、日本の多くの文化は唐の都だった長(zhǎng)安から伝わっており、京都の碁盤の目狀の區(qū)畫は長(zhǎng)安の市街區(qū)畫を模したことを言いたかったのだとすぐにわかった。
私はその時(shí)、京都のいたる所で長(zhǎng)安の街の面影が感じられることをとても誇らしく思った。ところが京都に対する理解が深まるにつれ、その誇らしい気持ちは徐々に小さくなっていった。
仕事の関係上、私は電機(jī)メーカーに注目していた。近年、日本の大手電機(jī)メーカーであるソニーや東芝などは業(yè)績(jī)の低迷が目立つが、村田製作所、ローム、京セラ、島津製作所、オムロンなどの世界的に有名な電子部品メーカーの業(yè)績(jī)は好調(diào)だ。
これらの企業(yè)はすべて京都に本社をおく「京都の企業(yè)」だ。詳しく分析してみると「京都の企業(yè)」には多くの共通點(diǎn)があることがわかる。
例えば、これらの企業(yè)の多くは電子部品メーカーだ。私たちが使っている攜帯電話には、京都の企業(yè)でデザイン?製造された部品がほとんど入っている。
ほかの共通點(diǎn)としては、家族経営の企業(yè)が多數(shù)を占め、伝統(tǒng)産業(yè)の流れを汲んでいることだ。例えば、村田製作所は伝統(tǒng)的な陶器製品からセラミックを扱う企業(yè)へと発展した。
さらに「京都の企業(yè)」は開発研究に力を入れ、業(yè)界內(nèi)でトップを行く技術(shù)と製品を有している。島津製作所には田中耕一という普通のエンジニアがいたが、2002年にノーベル化學(xué)賞を受賞し、企業(yè)の技術(shù)の高さを証明した。
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