スポーツ界は蕓能界とは違い、顔面偏差値だけで、試合に出れる選手はいない。それは寧沢濤も同様だ。彼がここ2年間で多くのファンを抱えることができたのは、顔とスタイルのよさだけによるものではない。2014年仁川アジア競技大會で4冠(50m自由形、100m自由形、メドレーリレー400m、リレー400m)を達成したことや、アジア人で初めて100m自由形で48秒を切ったことがなかったら、そもそも世間から腳光を浴びることもなかった。2015年のカザン水泳世界選手権でアジア人で初、男子100メートル自由形で金メダルを獲得した歴史的瞬間がなければ、人気が爆発することも、中國國內(nèi)、國外で名を轟かせることもなかった。
スポーツスターがスターになるには、前提として高度な競技レベルが必須となる。もしサッカー選手のベッカムが見かけだけだったら、「萬人に愛される」ことはなかっただろう。Cロナウドも筋肉でサッカーファンを魅了したわけではない。陸上の劉翔選手やバスケットボールの姚明選手、テニスの李娜選手など中國のスポーツスターたちの人気やビジネスバリューも試合成績で、徐々に築き上げてきたものである。
個性を出し、価値が多元化した社會では、「金メダル至上」という訳にはいかないが、試合の場では得點や勝敗が上下を決める。それに、「金メダル至上」ではないとしても、金メダルが必要ないという訳ではなく、金メダルで競技そのものの価値を體現(xiàn)させているのだ。
実力も無ければ、見かけなど関係ない。スポーツ選手が最も追い求めなければならないのは競技レベルの向上であり、実力と抜きんでた成績が無ければ、人気は維持できず、いわゆるビジネスバリューもただの虛構(gòu)となってしまうのだ。(編集TK)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年8月16日
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