「仙臺における魯迅の記録」仙臺に留學(xué)していたころの魯迅の調(diào)査資料がまとめられている
今月19日、小説家、思想家である魯迅(ろじん)が亡くなって丸80年を迎えた。魯迅の「聲」は、今日に至るまで、各世代の人の心に響き続けている。中國だけでなく、日本も魯迅の遺産を非常に重視しており、日本語へ翻訳された作品や関連の研究が非常に多く、その作品は中學(xué)校や高校の教科書にも盛り込まれ、広く読まれている。また、魯迅が日本に留學(xué)していた當(dāng)時の遺跡も大切に記念として保存されている。(文:尚曉嵐 撮影:董炳月 北京青年報が報じた)
中國社會科學(xué)院文學(xué)所の研究員である董炳月さんは、1994年に日本へ留學(xué)し、98年に東京大學(xué)で文學(xué)博士の學(xué)位を取得した。董さんは長年、魯迅や日本の思想に関する研究に攜わっており、魯迅の研究をしている日本の著名な學(xué)者とも深いかかわりを持つ。筆者は今回、そんな董さんを取材し、「日本人から見た魯迅」について聞いた。
福井県あわら市にある藤野先生の舊居
魯迅は日本の「國民的作家」
Q:以前「魯迅は日本の『國民的作家』と言われていたが、日本人はなぜこれほど魯迅を重視しているのか?」
A:それは、魯迅が飛躍するうえで、日本は大きな役割を果たしたから。日本の多くの學(xué)者もこの點をよく理解している。1930年代初め、京都大學(xué)の漢學(xué)家?倉石武四郎氏が魯迅の短編小説集「吶喊( とっかん)」を中國語の教材にしていた。32年、著名な作家?佐藤春夫が訳した魯迅の短編小説「故郷」が雑誌「中央公論」に掲載された。當(dāng)時、日本では翻訳された魯迅の作品が大人気となっていたため、魯迅が亡くなって1年もしないうちに、改造社が「大魯迅全集」(全7巻)を出版した。中國で初の「魯迅全集」が出版される1年も前のことだ。第二次世界大戦後、中國文學(xué)者?竹內(nèi)好などが翻訳と研究を進め、魯迅はさらに広く知られるようになった。50年代初めから今に至るまで、魯迅の「故郷」は日本の國語の教科書に採用され続けている。つまり、中學(xué)校?高校に通った日本人は、誰でも魯迅の作品を読んだことがあるのだ。日本人は魯迅の作品を通して中國の姿を見て、中國に対するイメージを作る。また、魯迅の作品を通して、転換期の日本社會と日本人を知ることもできる。
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