數(shù)年前、周醫(yī)師は養(yǎng)馬鎮(zhèn)の農(nóng)村を視察に訪れ、そこで隙間風(fēng)が入る室內(nèi)で床に伏す痩せこけた一人の高齢者に出會(huì)った。その高齢者は布団を両手でつかみ、その端をぐっと噛み締め、苦しそうな聲をあげながら、頭を壁に打ちつけ続けていた。そしてこれを見る彼の妻はぼろぼろ涙を流しながら「ガンで痛がって仕方がないんです」と言った。當(dāng)時(shí)76歳だった周醫(yī)師は、「たとえ患者の最期を看取ることになろうと、彼らに見放されたという思いを決してさせてはならない」と感じ、不治の病の患者を決して見捨てないという決心をしたのだという。
中小都市や農(nóng)村において、終末醫(yī)療という概念はほとんどない。2012年、周醫(yī)師は四川省の衛(wèi)生庁(現(xiàn)?四川省衛(wèi)生計(jì)畫出産委員會(huì))に科學(xué)研究プロジェクト立ち上げを申請(qǐng)し、簡陽市の農(nóng)村で末期がん患者の終末醫(yī)療を展開した。これにより、簡陽市は全國に先駆けて農(nóng)村で終末醫(yī)療を展開した県級(jí)市となった。
一生を醫(yī)師を続けるつもりの周醫(yī)師は、獻(xiàn)體協(xié)議書にサインしており、死後、その遺體は大學(xué)で教育?研究のために役立てられるという。
周醫(yī)師は「體が動(dòng)くかぎり、終末醫(yī)療を続けるつもりだ。自分の最期を迎えたときもまだエネルギーに満ちあふれ、輝いているような頑強(qiáng)な性格をしている人もいるからだ」と語った。(編集YK)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年12月16日
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