大阪府堺市にある日本語學(xué)?!弗昆ぅ铳ⅴ钎擤`」を取材に訪れると、広々とした教室の中で、劉彥君さんがたくさんの生徒たちに囲まれていた。しかしこれは授業(yè)ではなく、生徒たちとの気軽な心の交流だという。その場にいる人々は笑顔でおしゃべりを楽しみ、和やかな雰囲気に包まれていた。これは劉さんが毎月1回開催している日本語を?qū)Wぶ中國の若者たちとの交流會(huì)。彼らにとって「頼れるお姉さん」である劉さんは生活に関する悩みから食べ物の好みまで何でも相談にのってくれるのだという。(文:楊野。重慶晨報(bào)掲載)
39歳で単身、日本という新たな世界へ飛び込む
劉さんは師範(fàn)大學(xué)を卒業(yè)してからずっと西南政法大學(xué)で教育関係の仕事をしていた。しかし、彼女の叔父が日本で教師をやっていたこともあり、劉さんも日本で中國語教師になりたいという思いを抱いていたのだという。2004年、當(dāng)時(shí)39歳だった劉さんは安定した職である西南政法大學(xué)を辭し、単身日本に向かい、名古屋南山大學(xué)で客員研究員となった。劉さんは重慶にいたときに獨(dú)學(xué)で日本語を?qū)Wんでいたが、日本に來てその日本語が全く使えないものだと分かり、日本語の研究はおろか、他人との交流すらできなかったという。日本語能力向上を目指し、劉さんは2005年に大阪府立大學(xué)大學(xué)院文學(xué)部に入學(xué)。毎日自転車で30分かけて大學(xué)院に通い、無料で受講できる必修授業(yè)のクラスで日本語を?qū)Wんだ。
劉さんは家にいる時(shí)も日本語の本をかたときも手放さなかったという?!溉毡兢藖恧郡肖辘韦长恧嫌绚坤沥猡椁骸⑼獬訾筏郡い趣馑激铯胜盲?。結(jié)果的にそれでよりたくさんの時(shí)間を勉強(qiáng)に使うことができた」と語る劉さんは、実はにぎやかなことが大好き。そのため日本に來たばかりのころは、異國での生活を耐え切れず、あきらめて帰國しようと考えたこともあったという。それでも家族のサポートが最終的に劉さんの異國の地で生活を続けていく原動(dòng)力になったという。
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