目標(biāo)を見失いかけた大學(xué)時代
1995年、13歳だった張さんは、中國北京舞蹈學(xué)院に入學(xué)。思いがけず、バレエを?qū)熼Tに學(xué)ぶよう振り分けられた?!钢貞cで民間舞踴を習(xí)っていたのに、同學(xué)院に入學(xué)して民間舞踴の教室に行くと、僕の名前がなく、唖然とした」。バレエをマスターできるのか不安はあったものの、入學(xué)してしまったため、後戻りすることはできず、仕方なくやってみることにした。
入學(xué)したばかりの時、教師に「舞踴を勉強(qiáng)している目的は?」と聞かれ、同級生たちは「優(yōu)秀な舞踴家になりたいから」と答えていたものの、張さんだけはそのように答えることはできず、「いいダンサーになりたい」と答えていたという。
卒業(yè)後、張さんは仕事が見つからず、する事も特になかったため、気晴らしにと、いとこの姉が住んでいた日本の大阪に行った。その時に、バレエの分野では日本最高峰の「こうべ全國洋舞コンクール」が開催されることを知ったという。
張さんは、遊び感覚で同コンクールの參加を申し込み、なんと3位に入賞した。當(dāng)時、男性部門に參加していた中國人は張さん一人だけだった。その時、張さんは、自信と勇気を持つことができるようになり、日本でキャリアを積んでみたいと思うようになった。
中國に戻った張さんは、広州舞蹈団で1年働き、その時にある先輩講師に出會った。暇を見つけては舞踴を教えてもらい、ある時、その先輩が中國のバレエ界では名を馳せたダンサーであることを知った。そして、普段めったに見ることができない舞踴の資料も見せてもらい、そこから多くの啓発を得たという。
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