戴海韻さんは、日本で漫畫を?qū)熼Tとして3年間學(xué)び、たくさんの漫畫作品も刊行した。そして、中國臺灣に戻ってから、中國伝統(tǒng)の絵畫アートからインスピレーションを得ようと、國畫(中國書畫)クラスに通い始めた。原籍が重慶の80後(1980年代生まれ)の女性である戴さんは、國畫と漫畫をコラボさせる道を歩もうとしている。(文:伊永軍。華龍網(wǎng)掲載)
漫畫が好きになり漫畫家志す
1984年に臺灣地區(qū)臺中市で生まれた戴さんの祖父は重慶江津區(qū)出身で、國民黨部隊の自動車兵として48年に臺灣地區(qū)に來た。つまり、戴さんは典型的な臺灣地區(qū)3世代目。子供のころから大人しい性格だった戴さんは、アニメを見るのが好きで、幼いころに日本のアニメ「ドラえもん」を見て、それを模寫し始めた。そして、少し大きくなってから、アニメ「幽☆遊☆白書」を見て、漫畫家になることを志すようになったという。
その時から戴さんは絵を描き続け、模寫だけでなく、オリジナル作品も作るようになるなど、完全に漫畫に夢中になった。大學(xué)時代、漫畫に夢中だった戴さんが、中國語を?qū)熼Tに學(xué)ぶことを選んだ理由について、「まず文學(xué)にとても興味があったし、一人前の漫畫家になるためには、しっかりとした言語の基礎(chǔ)を作らなければならないと思った。中國語學(xué)部では散文や小説など、さまざまなジャンルの作品の構(gòu)想やテクニックを?qū)Wぶことができ、漫畫のストーリー設(shè)定の助けとなる」と説明する。
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